首吊りをほのめかす歌詞が話題!

ファンから人気の高い「続・くだらない唄」は、2000年リリースのアルバム収録曲。

メディアでは演奏を見ることができない隠れ名曲の1つです。

しかしファンの間では、歌詞の中に自殺をほのめかす内容があると話題になっています。

この曲で歌われている場所は、メンバーの故郷である佐倉市に実在する宿内公園ではないかと言われている(歌詞中のタンポポ、桜、湖(印旛沼)などとも一致)。「グロリアスレボリューション」のPVでも少し登場する。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_LIVING_DEAD

この宿内公園は自殺の名所でもあると言われています。

そう考えると、やはりこの曲に書かれている歌詞は本当に首吊りのことなのではと考えられます。

ちなみにこの曲はBUMP OF CHICKENが多忙な時期、地元に帰ったときに書かれた曲だそう。

この記事では、地元に帰って安心すると同時に、ふと考えたことを綴った歌詞に注目していきます!

「くだらない唄」をざっとおさらい

歌詞の解釈に入る前に、「くだらない唄」についてちょっぴりおさらいしておきます。

「くだらない唄」は子供の頃、大人になることを怖れている主人公が登場します。

きれいなタンポポの丘が出てきて、そこで子供の頃に一緒にいた「あなた」を待ち続けているという歌詞でした。

タンポポの丘で、素晴らしい子供時代を忘れたくないという想いが伝わってくる曲。

10年後には大人になっているはずですが、ダメな大人にはなりたくないという願いが感じられました。

「くだらない唄」は1995年頃に書かれた歌だそう。

ということは「続・くだらない唄」では10年は経っていないはずですが、その後どうなったのかは分かるはずです。

果たしてその後BUMP OF CHICKENは何を考えたのでしょうか?

聴くとたまらない気分になる「くだらない唄」はBUMP OF CHICKENのインディーズ時代の素晴らしい名曲です。バンプの青春ソングの歌詞の意味はくだらないワケもなく、むしろ面白いんです。

大人になった僕が登場する続編

さて、今回紹介する「続・くだらない唄」ですが、青春時代を少し過ぎたなという頃に書かれた歌と考えられます。

20歳を過ぎ、社会でも「大人」と呼ばれる年代に入ったBUMP OF CHICKENが書いた曲です。

大人になったボーカル藤原基央が何を感じたのかに注目しながら、歌詞を解釈していきましょう!

「続・くだらない唄」の歌詞を独自解釈

あの日の自分を思い出すはじまり

湖の見える タンポポ丘の 桜の木の下で
下ろしたての コートのポケットに 手を入れて
数年前にもこの場所で 同じポーズしていた事
思い出してやっと実感 「僕は帰って来た」

出典: 続・くだらない唄/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

いきなりタンポポの丘が登場します。

この曲は、千葉に出てきた藤原基央が半分千葉、半分地元での生活をしていた時期に書かれた曲だそう。

秋田の地元に帰る電車の中で書かれたと言われています。

タンポポの丘を思い浮かべ、そこで感じたことを鮮明に思い出しているのでしょう。

地元を離れた経験のある人は電車の中でいろいろと考えてしまうことに共感できるのではないでしょうか。

あの日と変わらないものは?

積もった落ち葉が 踏まれて音をたてた あの日と同じ 乾いた音
昇った朝日に 手を振り夢を見た
あの日が重なる中

出典: 続・くだらない唄/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

落ち葉の上を歩くと、サクサクと音がしますね。

その音がリアルに聴こえてくるような歌詞です。

「あの日」というのは、「くだらない唄」に出てきた時期のことでしょう。

そこにはあの日と変わらない景色があります。

「昇った朝日」とは青春時代に楽しかった思い出でしょうか。

楽しかった日々にさよならして、大人になった自分の姿を想像していたという風に解釈できます。

青春時代の想いがカラフルに蘇り、とても感慨深い気持ちになっている主人公の姿が想像できます。