後半の「衒(てら)う心~」の部分ですが。

「てらう」って、普段あまり使わない言葉です。

よく「奇を衒う(きをてらう)」なんていう使われ方をします。

簡単に言うと、カッコつけたり、「自分は他とは違うぞ」と、あえて不自然に構えた態度を差します。

あまり良い意味で使われる言葉ではありません。

ただこれ、けっこう多くの人が心当りのある振る舞いだと思います。

それがどこかに飛んでいって欲しいと言っているようです。

・・・いったいどうしたんでしょうね?

主人公は、何かを思い直しているようです

ハロー ハロー 交そう
ここから全てが始まるよ
同じ目線で
ためらうことなく 無邪気に言うよ
ハロー

出典: ハロー・ハロー/作詞:越智志帆+多保孝一 作曲:多保孝一

奇を衒(てら)う気持ちがどこかに飛んでいって欲しいっていう気持ち。

それを踏まえてのこの歌詞のようです。

「奇を衒(てら)わないで、 同じ目線で無邪気に『ハロー』って言わないといけない!」って思ったようです。

偽った態度が虚しい結果を生んだ

振り返れば 幾つもの偶然に囲まれて
愛する人 友達と繋がってきたはずなのに
嘘を付いて
何度虚しさ感じただろう

出典: ハロー・ハロー/作詞:越智志帆+多保孝一 作曲:多保孝一

思うに、この歌詞の主人公は、構えたり、自分を偽ったことで、損な思いをしたようです。

確かに、愛する人や友達との出会いって、ほとんどは自分で計算したものではありません。

偶然です。

学校や職場で合って仲良くなった人も、親でさえも。

私たちは自らあえて出会うことって、無いんです。

大人になって、しめし合わせて人と繋がることってあると思いますが。

しめし合わせる時って、すでに出会っていますし。

いつだってそうだった
心許せなかった
強がって しくじって
精一杯だった

出典: ハロー・ハロー/作詞:越智志帆+多保孝一 作曲:多保孝一

この歌詞の主人公は、悪い意味でカッコつけてしまっていたんじゃないでしょうか。

カッコつけていたという言葉は適切ではないかもしれませんが。

「構えていた」という言い方でしょうか。

良い関係を築きたいという本音があっても、カッコ悪く映りたくなくて。

ツンとした態度をとってしまったり。

それって、相手から近づいてくれることへの期待の裏返しだったりするのですが。

大人になっていくにつれて、出会いって変わっていきます

子どもの頃って、偶然なんですけど、必然に近い形で出会います。

基本的に学校には行かないといけないし、親の住む地域で暮らしていますから。

出会う人も限られています。

でも大人になると違います。

自分が頑張れば頑張るほど、違う世界の人に出会います。

その人たちは自分にとってどんな存在になるかわかりません。

だんだんとそうなるにつれ、この歌詞のメッセージが強く響きます。

コミュニケーションを邪魔する感情

歌詞の中にある、「心を許せないこと」って、コミュニケーションの邪魔になる場合が多々あります。

そこには相手に対する奉仕の気持ちや一緒に笑おうとする仲間意識が存在していませんから。

理由は自分なりに様々ありますが。

「カッコ悪く映りたくない」。

「自分からヘコヘコと近づいていくのは、私らしくないだろう」。

「この人は仲良く接してくれるかわからないので、様子を見よう」。

など。

そんな感情が邪魔をしてツンとした態度をとってしまったり。

後悔してしまう場合が多いです。

単純に笑顔で挨拶をすれば良いような場面で、愛想なく振舞ってしまっていたこと。

自分がそういうことをしてしまったり、または、そういう人に会ったことありませんか?

実はいい人で、「なんだ、もっと早く話しておけば良かった」なんて思ったりするんですけど。

筆者はそういう、仲良くなるまでに時間のかかった友達がたくさんいます。

まったく仲良くなれなかった人はその数十倍もいると思います。

この歌詞の主人公は、そういった事に対する後悔をしているように感じます。

経験を踏まえたうえでのリスナーへのメッセージ