「矢切の渡し」が有名になるまで
いちばん最初はB面だった!?
細川たかしのレコード大賞受賞曲として知られる「矢切の渡し」。もともとはちあきなおみの曲だったのです。ごぞんじでしたか?
1976年10月に発売されたちあきのシングル「酒場川」のB面曲が「矢切りの渡し」。当初の表記は「矢切」ではなく「矢切り」でした。
つまり細川たかしはカバー曲でレコード大賞を獲得したことになりますね。
きっかけは梅沢富美男
「矢切りの渡し」に火をつけたのは、ガミガミおじさん・梅沢富美男ではなくて、大衆演劇の女形・梅沢富美男でした。
ニックネームは「下町の玉三郎」。彼、いや、彼女の踊りの演目に使われて、「矢切りの渡し」は日の目を見ることとなります。
A面で改題&再発売
競作に沸いた1983年
同年にはこの他、瀬川瑛子、中条きよし、春日八郎&藤野とし恵、島倉千代子&船村徹、佐山友香など、競作で発売された
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/矢切の渡し_(曲)
このうち船村徹は作曲家で「矢切の渡し」の生みの親です。
また春日八郎には同じく船村徹の手による代表曲「別れの一本杉」があります。
ぼくの世代(30代後半)で春日八郎というと、清水アキラのモノマネを思い出して吹き出しますが(笑)
勝ち残った細川たかし
錚々たる面々にカバーされるも、最もヒットを飛ばしたのは細川たかしのカバー盤でした。
1983年の4月18日付から3週連続でオリコンチャート1位を記録。4月の月間チャートも1位で、年間チャートでは2位を獲得。
この年のFNS歌謡祭ではグランプリ、紅白歌合戦では初めての大トリを飾り、前年の「北酒場」に続いてレコード大賞の栄冠に輝きます。レコ大2連覇は史上初の快挙。
しかし有線チャートではちあきなおみ盤が首位を独走。賞レースは細川たかしに譲ったものの、細川の独り勝ちとはなりませんでした。