「矢切の渡し」が有名になるまで

いちばん最初はB面だった!?

【矢切の渡し/ちあきなおみ】細川たかしなど多くの歌手がカバー!カラオケで上手く歌うには?歌詞あり!の画像

細川たかしのレコード大賞受賞曲として知られる「矢切の渡し」。もともとはちあきなおみの曲だったのです。ごぞんじでしたか?

1976年10月に発売されたちあきのシングル「酒場川」のB面曲が「矢切りの渡し」。当初の表記は「矢切」ではなく「矢切り」でした。

つまり細川たかしはカバー曲でレコード大賞を獲得したことになりますね。

きっかけは梅沢富美男

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「矢切りの渡し」に火をつけたのは、ガミガミおじさん・梅沢富美男ではなくて、大衆演劇の女形・梅沢富美男でした。

ニックネームは「下町の玉三郎」。彼、いや、彼女の踊りの演目に使われて、「矢切りの渡し」は日の目を見ることとなります。

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A面で改題&再発売

その後、梅沢富美男が出演するドラマの挿入歌にもなった「矢切りの渡し」。

好評に応えて1982年の10月、「矢切の渡し」とタイトルを改め、ちあきなおみA面シングルとして再び発売されました。

競作に沸いた1983年

競作の火ぶたを切ったのは細川たかしでした。細川盤「矢切の渡し」は1983年2月の発売。

この年は「矢切の渡し」フィーバーで、カバーラッシュが続きます。

主だった面々は以下の通り。

同年にはこの他、瀬川瑛子、中条きよし、春日八郎&藤野とし恵、島倉千代子&船村徹、佐山友香など、競作で発売された

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/矢切の渡し_(曲)

このうち船村徹は作曲家で「矢切の渡し」の生みの親です。

また春日八郎には同じく船村徹の手による代表曲「別れの一本杉」があります。

ぼくの世代(30代後半)で春日八郎というと、清水アキラのモノマネを思い出して吹き出しますが(笑)

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勝ち残った細川たかし

錚々たる面々にカバーされるも、最もヒットを飛ばしたのは細川たかしのカバー盤でした。

1983年の4月18日付から3週連続でオリコンチャート1位を記録。4月の月間チャートも1位で、年間チャートでは2位を獲得。

この年のFNS歌謡祭ではグランプリ、紅白歌合戦では初めての大トリを飾り、前年の「北酒場」に続いてレコード大賞の栄冠に輝きます。レコ大2連覇は史上初の快挙。

しかし有線チャートではちあきなおみ盤が首位を独走。賞レースは細川たかしに譲ったものの、細川の独り勝ちとはなりませんでした。

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その後も続くカバーラッシュ

「矢切の渡し」のカバーラッシュはまだ続きます。

美空ひばり中森明菜2人の歌姫によって新たな命を得たのです。