「上を向いて歩こう」
坂本九の大ヒット曲
「上を向いて歩こう」は坂本九の代表曲であると同時に、日本のポップス、歌謡史に残る名曲です。
1961年(昭和36年)10月にレコードが発売され、3か月で30万枚のセールスを記録します。
当時はまだオリコンチャートは存在していませんでした。
「ミュージック・ライフ」という雑誌が独自で集計したランキングがあり、そこでは3か月連続1位を記録します。
坂本九はこの年紅白歌合戦に初出場し、「上を向いて歩こう」を歌いました。
今では時代を超えてスタンダードとなった名曲です。
歌詞を中心に、この曲の魅力や様々なエピソードをご紹介したいと思います。
当初は不評だった?
現在では坂本九のイメージは品行方正でピシッとしたシンガー、というものかもしれません。
しかし彼はもともとロカビリーのミュージシャンでした。
1950年代から活動を始め、一時はザ・ドリフターズに参加していたこともあります。
そう、あのドリフです。
ドリフターズがビートルズの武道館公演で前座を務めていたことは有名な話です。
コミックバンドとして成功する前は本格的なロカビリーバンドだったのです。
坂本九はロカビリーシンガーとして日劇ウェスタンカーニバルなどに参加していました。
当時のパフォーマンスはギターを叩き壊すなど、非常にワイルドで激しいものだったとのこと。
そうしたイメージは伝統的な歌謡界にとってはあまりいいものではなかったようです。
そして彼独特の歌唱法です。
「上を向いて歩こう」でも、「ウエホムフヒテ アールコウホウホウホウ」のように聞こえますね。
これもロカビリー出身ならではの個性だったようですが、保守的な層からは不評だったそうです。
もちろん、そうした声は年月を重ねるにつれ無くなっていくわけですが。
名曲も最初から受け入れられていたわけではないという、歴史の重みを感じる話だと思います。
作詞・作曲は?
歴史に残る名コンビ
「上を向いて歩こう」の作詞を担当したのは永六輔です。
作詞家としては坂本九の「見上げてごらん夜の星を」も手がけています。
そして放送作家、エッセイスト、タレントとしてもテレビやラジオで活躍していました。
今でいうマルチタレントのはしりのような人ですね。
特にラジオについては晩年闘病生活になってからも番組を続け、ライフワークとしていました。
惜しくも2016年7月に83歳で亡くなっています。
そして作曲は中村八大。
「こんにちは赤ちゃん」、「遠くへ行きたい」など、1960年代に数々の大ヒットを作曲しています。
Re:Japanやウルフルズによってリバイバルヒットした「明日があるさ」も彼の作品です。
永六輔と中村八大は数々の名曲を作詞作曲しており、名コンビとして知られています。
六八九トリオ
永六輔と中村八大の名コンビ、そこに坂本九を加え「六八九トリオ」と呼ばれることもありました。
このトリオでも数々のヒット曲を送り出しているのです。
3人とも名前に数字が入っているのでわかりやすかったのかもしれませんね。
全米No.1
英語タイトルは「スキヤキ」
「上を向いて歩こう」は海外でも反響を呼びました。
フランスをはじめヨーロッパでも発売され、大ヒットを記録するのです。
イギリスではジャズ・トランぺッターのケニー・ボールがインストでこの曲を演奏しヒットしました。
この時のタイトルが「SUKIYAKI(スキヤキ)」でした。
このタイトルになった経緯や理由については諸説あるようです。
日本語のタイトルが読めなかったので知っている日本語からつけたとも言われています。
アメリカでは、リッチ・オズボーンというラジオDJが坂本九のレコードを入手します。
彼の番組のリスナーが、日本の友人からもらったものと言われています。
これを「SUKIYAKI」というタイトルでラジオで流すと、大きな反響がありました。
徐々にその人気は広がっていき、正式にアメリカでの発売が決定したのです。