1987年のシングル「夢の続き」
今こそ竹内まりや
1987年7月25日発表、竹内まりやの通算15作目のシングル「夢の続き」。
この曲を収録したアルバム「REQUEST」は「けんかをやめて」のセルフカヴァーなどが話題。
アルバムは4年の月日をかけてミリオンセラーになりました。
1980年代らしいビートやデジタル楽器を多用した趣向と山下達郎の普遍的な音作りが合わさった楽曲。
竹内まりやを語る上で忘れ難い1曲になりました。
女性SSW(シンガー・ソング・ライター)として成熟してゆく過程の1曲です。
この曲「夢の続き」の歌詞を紐解いて恋愛や人生について考察してみます。
まずは歌い出しの歌詞から視ていきましょう。
失恋の痛手は無視できない
明日を信じよう
Baby Baby don't look so sad
There's gonna be
a better tomorrow
重い扉の向こうは
いつでも 青空さ
出典: 夢の続き/作詞:竹内まりや 作曲:竹内まりや
英詩がありますので和訳を添えます。
「ねえ、そんなに悲しそうな顔をしないで
もっと素敵な明日があるわよ」
今は辛いだろうけれども明日に希望をいだいて欲しいと語りかけます。
実際に失恋の苦しみや辛さは一過性のものです。
ただし一過性だからといってもそのときの辛さが和らぐ訳ではありません。
失恋の辛さで抑うつ傾向になり自ら命を絶つ人もいらっしゃいます。
たかが失恋と簡単に片付けることはできないのです。
他者の苦しみや辛さに寄り添って歌詞を書こうと決めた竹内まりやの優しさを見習いたいもの。
「夢の続き」は新世代のファンク
今、注目される日本のシティ・ポップ
「夢の続き」はサウンド面でも今、世界中から注目が集まっています。
プロデューサーの山下達郎によるアレンジが今に至って斬新だと世界中のリスナーから注目を浴びます。
「新世代のファンク・ミュージック」
発表から四半世紀以上経ってそんな評価がなされています。
山下達郎のアレンジはビーチ・ボーイズに由来するようなエバーグリーンなサウンドを想像しがち。
しかし「夢の続き」にはブラック・ミュージックのテイストが色濃いのです。
ビートを強調しシンセサウンドを活かしたアレンジ。
1987年の発表当初も先進的だったのですが「今の耳」にとってもこのアレンジが新鮮に響きます。
ディスコ・ミュージックという言葉はこの頃には死滅しかけていました。
それでも「夢の続き」は「踊れるサウンド」でもあるのです。
ディスコ・ミュージックに代わって台頭するその後のクラブ・ミュージックは様々なサウンドがあります。
今必要とされているクラブ・ミュージックの流れに山下達郎のアレンジがマッチしたのかもしれません。
当然、山下達郎のパートナーの竹内まりやの作品にも今熱い視線が注がれているのです。
竹内まりやの美声は国境を超えた訴求力を持ちます。
歌詞だけでなくサウンドにも意識を傾けて鑑賞しましょう。
まだ希望があった時代の曲
ルーティン・ワークで見失う自分
昨日と同じ一日が暮れて
彼女は深い溜息とともに眠る
果せなかった約束
またひとつ増えただけ
それでも明日を夢見る
出典: 夢の続き/作詞:竹内まりや 作曲:竹内まりや
会社勤めのOLが主人公のようです。
毎日のルーティン・ワークは昨日と今日に境目を失くしたような気分になるもの。
この頃の日本社会は転職が容易ではなく一生会社に勤め上げるという発想から抜けきれない時代です。
バブル経済前夜の右肩上がりの経済はこうして社会の歯車に徹する人々によって支えられていました。
そうした日々の中では自分から自分が遠くなってゆく錯覚を抱くものです。
自分らしさへの疑いも生まれやすい環境。
そうした境遇に深く息を吐きだしてベッドに潜ります。
明日になれば何か変わっているかもしれない。
そんな儚い夢を抱いて眠るのです。
現代の社会の在り方と何ら変わりはないのですがこの頃の方がもう少し希望に満ちていたと回想します。
「失われた30年」が「失われた50年」になるという悲観的な予測など思いもしなかった幸福な時代です。
企業社会が日本社会の基軸となり権威的な傾向が社会に生活に反映されブラック企業も野放し。
それでも1980年代の日本経済は登り来る太陽に喩えられていました。
明日になれば何かが変わるとOLが夢を見ることも不思議ではありません。