実力派のトライアングル「sajou no hana」
「砂上の花」「砂上の華」
あえて日本語で表記するなら前者でしょうか。
sana(Vo.)のどこか儚げな歌声と渡辺翔、キタニタツヤという実力派ミュージシャンによるバンド「sajou no hana」。
今回は彼らの配信限定シングル『誰のせい』をご紹介します。
渡辺 翔、キタニタツヤが作り出すジャンルに捉われない柔軟な音楽と、儚さと力強さが同居したsanaのボーカルで注目を集める。
出典: https://whv-amusic.com/sajounohana/biography/
『誰のせい』の歌詞をチェック!
最小限の音数で構成される歌い出しから、転調するサビの盛り上がり。
渡辺翔らしくあり、sanaの歌声やイメージにピタッとマッチしていますね。
印象的なメロディラインで歌われる『誰のせい』の歌詞にはどのような意味が込められているのでしょうか。
誰にでもある表と裏
こうありたい、と思う自分像。こうあるべき、と思う自分像。
両者の乖離は誰もが経験するものなのかもしれません。
「君」とは誰のこと?
手を隠した袖は汚れていた
どうか構わずお先へと
出典: 誰のせい/作詞:渡辺翔 作曲:渡辺翔
この曲では「手」という言葉が何度か歌われます。
何らかの重要な意味が込められているのでしょう。
なぜ隠すのか。他人の目に触れては困るからです。
「手の内を明かす」「手の内を読む」といった慣用句では、手=本心・真実などの意味合いで使われています。
つまりこの曲の主人公「あたし」は本音を隠したのではないでしょうか。
彼女の本音は人に言えるような美しいものではなく、少し醜いものなのかもしれません。
例えば、誰かへの悪意が込められていたり、嘘をついている可能性もありますね。
相手はそれに気づいたような素振りをしたのか、彼女はうまく誤魔化そうとします。
手を伸ばすのにはあたいしなくて
最初っからわかってる
堂々と笑ってる君が嫌いだ
出典: 誰のせい/作詞:渡辺翔 作曲:渡辺翔
「君」は主人公と真逆の印象です。何かを隠したりはせず、オープンにしているイメージですね。
そんな相手を心配してあげたり、力を貸してあげる気は毛頭ありません。
「君」の内面は何もかもお見通し。そして「嫌い」という強い否定を躊躇いなくできてしまう相手。
ここで歌われている「君」とは、もうひとりの「私」なのではないでしょうか。
本当は心が汚れているのに、それを表に出さずに快活に笑う自分を受け入れたくないのです。
誤魔化している方がラク
認めた欠陥だらけの思考を責めて
これ以上私にどう向き合えばいい?
回避さえも疲弊して嫌になって
受け入れて無意識にほら笑顔だけうまくなった
出典: 誰のせい/作詞:渡辺翔 作曲:渡辺翔
彼女の心の中がどのように汚れているのかまでは言及していません。
自分の考え方に「欠陥」があると歌っていることから、他者への悪意というより自分自身の問題だと捉えているようです。
自分の嫌な部分だけを新しい部品に取り替えられたらどんなに楽でしょうか。
自分のせいだと分かっているものの、思考回路は別のものと取り替えることができませんから、解決策が見つかりません。
例えば、他人の欠点ばかりに目が行ってしまう自分が嫌いだと仮定しましょう。
短所を見ずに長所だけを探そうと意識するだけで、果たしてうまくいくでしょうか。
どうしたって短所が目に入ってしまうはずです。見て見ぬふりをするほかありません。
その度に自分の欠陥を再認識させられます。
欠陥がある自分も、欠陥を直せない自分も不甲斐なく感じてしまいますね。
だったら「それが自分なんだ」と考えて、外面だけを整えたほうが余程気楽です。