いい人は損をする

主人公が本当に優柔不断だったかどうか歌詞中からは判断しかねます。

しかし、歌詞の随所に思い当たるフレーズは存在します。

それを最も表しているのが歌詞のサビの部分です。

女性は友達の彼女だから変なことはしない。

でも、それでも誰にも言えないが女性のことが好きだ。

他にどれだけ世の中にもっと魅力的な女性がいたとしても。

と、歌っています。

結局、主人公は勇気のありどころをはき違えているのです。

本当に勇気があるのなら友達を裏切るべきでしょう。

そして女性を誘ってみる。

それをやらないことには今の「いい人」状態は解消されないでしょう。

つまりいい人は、をする。

特に好きな人が絡んできたときは間違いなく損をするのです。

友情をとるか恋をとるか

「彼女の恋人」の歌詞全体を俯瞰すると、そこには友達思いの1人の男性のせつなさを表しています。

その男性こそが主人公である、槇原敬之さん自身だったかもわかりません。

主人公の友達とは、友人が思う以上に友情関係があったのでしょう。

それは主人公の強い思い入れであったかもわかりません。

ところが、恋と友情は同時進行しないものなのです。

つまり別々に離しておかなければいけなかった。

友人はもう2度と主人公の前にその女性を出現させてはいけなかったのです。

それに気づかずに今まで通りの関係で過ごしたことで残酷な悲劇が始まってしまったのでした。

三角関係の残酷さ

三角関係を維持したいなら主人公はやせ我慢を

もし、主人公がこのまま友達との友情を捨てられないのなら…。

人のいいふりをして黙って2人の前にいなければならないでしょう。

恐らく友達の方は主人公に対して優越感を持ち始めます。

友情というものは実に尊く、かつ残酷なものなのか。

知らない間に友達は主人公に対して負けず嫌いの本性が出てしまったのでしょう。

それを助長したのが元々、友達の関係だった彼女です。

結局、恋と友情は相いれないということなのです。

友情をとるか、恋を選ぶか。

この何ともいえないやるせなさの関係こそが三角関係なのです。

この関係を主人公が望むなら、やせ我慢に徹するしか道はないでしょう。

恋をとりたいなら断腸の思いで

恐らく主人公の男性は、この時点で恋に奥手だったのでしょう。

確かに人当たりがよくて明るい性格の主人公はモテるほうだったかもわかりません。

だから友達が危機感を抱いて、女性を素早く彼女にしてしまったのかもわかりませんね。

結局、恋は駆け引きです。

先手を打ったほうが限りなく勝ちに近づきます。

指を加えていい人ぶるのは厳禁なのです。

恐らく、そんな態度を女性は優柔不断ととったのかもわかりません。

歌詞中に女性の心理を描写する箇所は見当たりません。

せいぜい、1番の歌詞で車に堂々と乗り込んでくるくらいです。

でも、そんな態度をとれるのは女性が主人公のことに好意を持っていたからでしょう。

女性にとって男性の友情は理解不能のものです。

主人公がそれに気づいていたなら、せつない思いをしなくて済んだかもわかりませんね。

切ない三角関係を見事に描写

いかがだったでしょうか?「彼女の恋人」の歌詞を、個人的な解釈を交えてご紹介しましたが、槇原さんの表現力は素晴らしいですね。

片思いや失恋など、恋の歌に悲しみや切なさは付きものですし、それは歌を引き立てるスパイスでもあります。

しかし、その題材に三角関係を用いるところがさすがですね。

親友の恋人を好きになるという、ややもするとドロドロの三角関係になりそうな設定を、透明な愛と切なさで描ききったのは槇原さんの力です。

本当に好きだからこそ、奪うことができない。それも愛の形ですよね。

最後に

「彼女の恋人」のPVがありましたのでご紹介します。槇原敬之さんの美声と悲しい恋模様を実際に聴いてみてくださいね。

恋の模様を男性目線で繊細に描写できる槇原敬之さん。

その代表作の1つとしてあげられるのがこの「彼女の恋人」でしょう。

やさしさともろさが同居するすべての男性の気持ちを見事に歌い上げた佳曲ですね。

そんな槇原敬之さんの楽曲。まだまだたくさんありますよ。

「もう恋なんてしない」は1992年に発売された槇原敬之さんの大ヒット曲です。この曲には、歌詞の文法がおかしいのではないかという疑惑があるそうで、文法を気にして曲を聴いたことなんてないという人がほとんどかと思いますが、ここではその文法を中心に「もう恋なんてしない」を深く掘り下げていきます。

こんな曲もどうですか?