メンバーは自分だけ
すべてをセルフで
現在は活動休止中であるバンド・Janne Da Arc(ジャンヌダルク)のヴォーカル、yasu。
彼がセルフプロデュースするソロプロジェクトが「Acid Black Cherry」であり、固定メンバーは自身のみです。
つまり、T.M.Revolutionの西川貴教さんや、Superflyの越智志帆さんのような感じ、と言えばわかりやすいでしょうか?
バンドでの楽曲も、多くはyasuが作詞・作曲をしていましたが、他のメンバーの作った曲に歌詞をつけることも当然ありました。
しかし、Acid Black Cherryでは、作詞・作曲はもちろん、編曲も自身で行っています。
作詞・作曲の時は、本名である林保徳(はやし・やすのり)名義。
さらにそれだけでは飽き足らず(?!)、PVの原案も手掛け、コンセプトアルバムの小説も執筆するなど、本格的なマルチアーティストです。
そのすべてがハイクオリティなので、もはや誰も手や口が出せないですね。
しかしその実、非常に思いやり深い性格で、一見すると常に人の輪の中心にいるようでいて、ものすごく雰囲気作りに気を配っています。
だからこそ、良いファンやスタッフも集まってくれますし、音楽仲間にも恵まれるのでしょう。
高校時代から変わらない笑顔
yasu自身は中学生時代からバンドを組んでいたほどの音楽好き。
ファンの間では、彼がL'Arc~en~Cielのヴォーカル・hydeの熱烈なファンであることはすっかり定着していますが、もともとX(現・X JAPAN)のコピーバンドから始まりました。
Acid Black Cherryではポップ調のロック曲が多いですが、基本的には個人としてなかなか濃い趣味の音楽性を持っています。
作詞では、まっすぐなラブソングや少し(かなり?)エロティックなものが多いようですが、深く聴くと犯罪や戦争、生死や社会風刺的なものもたくさん含まれています。
かと思えばファンタジー色の強いものがあったりもして、おもちゃ箱をひっくり返したような無邪気さに溢れているのがAcid Black Cherryの真髄と言えるでしょう。
今は他校と合併されて、名前もなくなってしまった出身高校のためにドキュメンタリー風映画にも出演していました。
「HIRAKATA」(ひらかた)は、Janne Da Arc出演の日本映画。メンバーの母校(大阪府立枚方西高等学校)を題材としているがBassのka-yuのみ枚方西高出身ではない。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/HIRAKATA
本物の高校の卒業アルバムでは、少し伸ばして明るく染めた茶髪を後ろで結んで、愛らしい笑顔で映っています。
その笑顔が今も変わらないのを見ると、本当に音楽を愛していて、多くの人や場所に愛を注いできたのだなぁ、と改めて思わせられますね。
特に大きくアピールすることもなく、東日本大震災の応援歌のような(というか、明らかにそうですが)楽曲「シャングリラ」をリリースするなど、はにかみ屋さんぶりは当時から健在です。
話題性もあったけれど
初めてではない初めて
バンドでは、特にジャンルを問わず、アニメからテレビドラマ、ゲームやラジオ・CMなどのテーマソングなど、幅広く多くのタイアップ経験を持つyasu。
しかし、Acid Black Cherryとしては初めてのタイアップを持つ楽曲となったのが、2009年2月に発売された7枚目のシングル曲である「眠り姫」なのです。
まずはその世界観も見えるPVをご覧ください。
もうね、この映像をつけられると、脳裏にハッキリと焼き付いてしまいませんか?
見事に歌詞とオーバーラップされて、切なくてたまりません。
しかし楽曲のタイアップ先はバラエティ番組のエンディングテーマだったので、テレビではまだ比較的リラックスして聴けていたのかも知れませんね。
話題になりつつ華麗にスルー
この「眠り姫」がリリースされた時は、ファンの間でちょっと話題になりました。
基本的にAcid Black Cherryの楽曲(バンドの時でもそうですが)の歌詞は、実体験を比喩的に描いたり、他人の身に起きた出来事を自らが追体験するように表現されていることも多いです。
この「眠り姫」も、知人の実体験を聞いて我が身に置き換えて書いたのだとか。
もちろん、yasu本人はあまり詳細は語らず、自分が生んだ楽曲をどのように捉えるかは、聞いた人それぞれに任せる、というスタンスをとっています。
他にも、ファンからの手紙で気付きを得て書かれたものもありますし、「もしも自分がその立場だったら」という俯瞰的な目線を持っているのがAcid Black Cherryの歌詞の特徴と言えるでしょう。
PV映像だけでは、この「眠り姫」状態の女性の生死はわかりません。
もしも恋人を失った経験のある人が聴けば、「死んだ恋人を思う歌」に聞こえるでしょうし、いつ命を落とすかわからない立場にいる恋人を持つ人からすれば、ただ辛く哀しいでしょう。
それでもこの楽曲の中には、溢れんばかりの愛に満ちています。
相手が生きていても、既にこの世にいなくても、愛している気持ち、愛したという事実は変わらないのですから。
語り続ければ目が覚めるかも知れない
直接的な言葉はなくても
PVで言えば、このベッドに横たわっている女性が、傍らの男性の恋人であることは明白でしょう。
何よりも誰よりも大切な人に違いありません。
しかし、彼女が生きているとも死んでいるとも歌われてはいなくて、ただ「もう一度」と願っています。
そんな歌詞を見ていきましょう。