原田知世はいつも自然体
子どものころから原田知世を観ています。いつも変わらないなあと思います。
お芝居でも歌でも無理をしません。がんばったり声を張ったりしませんもんね。
そうは言っても10代のころの彼女は、危なっかしかったんですけどね。あれはあれで捨てがたいんです(笑)
年々落ち着きを増す原田知世。あこがれる女性も多いでしょう。あんなふうに歳を重ねられたらな。
「半分、青い。」のお母さん役
観るともなく朝ドラの原田知世を観ていると、やっぱり自然だなあと思います。ホントに感心するぐらい。
「岐阜の商店街の写真館のおっかぁが、あんな美人なわけあるかい!」みたいなのは言いっこなしですよ。
でも町歩きが大好きなぼくの経験上、どんな田舎町にも垢ぬけたご婦人はいらっしゃいます。ましてや写真館の奥様ならば。
原田知世は長崎出身ですしね。日本全国どこにでもいる上品なお母さんって、確かにああいう雰囲気なのです。
いつから自然体なんですか?
あのナンチャンもファンだった!
思春期だったアイドル期の原田知世は、特別美人だったわけでもキュートだったわけでもありません。(顔の好みは好き好きですが)
けれども独特の雰囲気に惹かれるファンは多かったようで、ウッチャンナンチャンのナンチャン(南原清隆)は大ファンの一人でした。
ウンナンのブレイク後にはコントでめでたく夢の共演。勢いに乗って大林宣彦監督の映画「水の旅人 侍KIDS」(93年)でも共演。よかったよかった。
80年代の原田知世
14歳でデビューした原田知世は、薬師丸ひろ子と並ぶ角川映画のトップスターでした。当時を懐かしく思い出す方もおられるでしょう。
個人的には映画「早春物語」(85年)を推します。大人の男を相手に背伸びする彼女が意地らしくてもう。同名の主題歌も佳曲で、見事に紅白初出場を射止めました。
「早春物語」はまだ安心して聴けますが、この時期の知世ちゃんのボーカルは裏声キンキンで冷や汗タラタラ。ま、それはそれで捨てがたいんです(笑)
90年代の原田知世
女優業と歌手業を並行する原田知世が、本当の意味で落ち着いてきたのはこのへんからです。現在の彼女のイメージは90年代に確立されました。
鈴木慶一やトーレ・ヨハンソンなどの大物ミュージシャンとタッグを組み、ポップで気取らない音楽性を看板に掲げる原田知世。
90年代のFMでしょっちゅう聴きました。ヘビロテだった「ロマンス」は97年1月のリリース。あれから21年ですか。変わらないって素晴らしい。
歌手・原田知世の偉大さ
コンスタントに作品を発表
偉ぶらないご本人に代わって、私の口から申し上げます。原田知世は偉大である!
80年代にデビューしたアイドルで、現在に至るまで継続的にアルバムを制作しているのは松田聖子。毎年欠かさずリリースしています。
原田知世のリリース間隔は聖子ちゃんに次ぎ、薬師丸ひろ子や中森明菜をも凌ぎます。トリビュートアルバムへの参加も含めると、ほぼ毎年何かしら歌ってますからね。
継続は力なり。女優業一辺倒にならないところが素晴らしいです。