きっかけはポップコーン?いえポプコンです!!
八神純子さんと言えば思い出すのは透き通った声。クリスタルボイスと呼ばれますが、磨いたガラスと言うより、摩周湖のような透明度を持つ声ですね。
まずは彼女のプロフィールから始めます。
八神 純子(やがみ じゅんこ、出生名同じ、結婚後の本名:スタンレー純子、1958年1月5日高校在学中だった1974年、16歳のときに初めて作詞作曲した「雨の日のひとりごと」で、第8回POPCON優秀曲賞に入賞した。なお、この会には「幸せの時」もノミネートされ、入賞曲に選ばれている。同一大会で2曲ノミネートされ、2曲同時に入賞したのはつま恋で本選会で開かれてからは、後にも先にも八神だけであった。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/八神純子
八神純子さん今年で還暦の60歳になられました。16歳でデビューして音楽活動は約45年。声は今でもデビュー当時の透明度を保っていますね。
同じ大会で2曲同時受賞はコンテストの歴史の中でこの第8回だけです。それくらいこのコンテストと、八神純子さんのつながりが強いことを物語っています。
ヤマハポピュラーソングコンテスト、通称ポプコンにも触れておきます。
日本の音楽界に貢献したコンテスト♪
ヤマハポピュラーソングコンテストとは、ヤマハ音楽振興会の主催で1969年から1986年まで行われたフォーク、ポップス、ロックの音楽コンテストである。略称「ポプコン」(POPCONとも)。
コンテストに出場、グランプリ、優秀曲賞、入賞、特別賞などを受賞し、デビューした代表的な歌手に、谷山浩子、八神純子(1974年)、渡辺真知子、中島みゆき(1975年)、長渕剛(1978年)、など多数。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/ヤマハポピュラーソングコンテスト
八神純子さんがデビューするきっかけとなったヤマハポピュラーソングコンテスト。楽曲を歌う側も作る側も実力派が競う、レベルの高いコンクールでした。
J-POPという言葉が出る少し前ですが、日本のポップスが幅広い世代に広がるきっかけとなったポプコン。
中島みゆきさんや長渕剛さんもポプコンに出場しました。「時代」や「巡恋歌」はこのコンテストから生まれた楽曲。
1978年第16回のグランプリは円広志さん。飛んで回る「夢想花」もこのコンテストから生まれた楽曲です。
今でも日本を代表するアーティストたちが名曲を歌い続け、聴き継がれています。
ポピュラー音楽のジャンルの確立と広がりという使命を果たしたポプコンは、1986年第32回で幕を閉じました。
お待たせしました。この後は「みずいろの雨」、作品誕生の秘話から始めます。
作曲をした○○、今は見られない景色。
「みずいろの雨」は1978年9月リリース、八神純子さんの5thのシングルです。デビューシングル「雨日のひとりごと」から、3rdシングルの「思い出は美しすぎて」へと音楽活動は順調な滑り出しでした。
でも他の人の作品でリリースした4thシングルは売上げも評価も今一つ。
高校を卒業してからは音楽1本でやっていくはずが、自信を失うと同時に、音楽活動に関して両親があまり賛成では無いことが重なったのがこの時期でした。
この後の音楽をどうするか?本当にシンガーソングライターを続けて行けるのか?、と悩み迷いつつ歩いたのが原宿・表参道でした。
失意の中に居ながら、表参道にかかる歩道橋の階段を登りつつ浮かんだメロディー。
歩道橋から表参道を眺めた時にはしっかりと自分の作品にすることができました。
表参道の歩道橋、今はもう○○
八神純子さんが表参道の歩道橋でメロディーを思いついた1978年。歴史的な建物、同潤会アパートが表参道ヒルズになるなんて、予想もしませんでした。
何かを食べるために行列をするお店も人も今ほどありません。
真っ直ぐな表参道を見られる歩道橋は、立ち止まって物思いにふけることも可能でした。(高所恐怖症の私には景色を楽しむ余裕はありません。)
八神純子さんは高い所に上がることで自分の創作意欲が高まる能力の持ち主だったのですね。自分の意志を貫く時には上昇志向がマストです。
残念ながら2014年1月26日で歩道橋は撤去されました。老朽化が1番の理由のようです。私も通過をした経験はあります。(貴重な体験でした。)
もし表参道に歩道橋が無かったら、八神純子さんの代表曲は生まれていなかったかもしれません。
「みずいろの雨」の後は「想い出のスクリーン」「ポーラ・スター」「パープルタウン」とスマッシュヒットを連発。
もしかしたらこれらの曲も生まれなかったと思うと、表参道の歩道橋の威力に感謝です。
通過しただけの私にはご利益が無かったようですが、凡人の運命はそんなものですね。(笑)
作曲:八神純子さん 作詞:三浦徳子さん♪
「みずいろの雨」曲は八神純子さん自身が作りましたが、詞は三浦徳子(みうらよしこ)さんが担当しています。
1970年後半から1980年代に男女関係なく多くの歌手やアイドルに詞を提供し、現在も活躍中の作詞家です。
歌謡曲・ポップス・アニソン・童謡など、音楽のすべてを網羅するボキャブラリーの量と使いこなすセンスは、うらやましい限り。
松田聖子さんのデビュー曲「裸足の季節」、1983年のテレビアニメ「CAT’S EYE」のOPも三浦徳子さんの作品です。
色なら青や水色の寒色系、そこに絡ませた風・雨・涙で、始まる愛や終わる愛の詞を編み出しています。
代表曲の1つ、雨に色の名前を付けた「みずいろの雨」に一緒に打たれましょう。
202秒に潜むのは許されない愛、だけ?
曲の長さは202秒というコンパクトスタイル、分数にすれば3分22秒。カップ焼きそばにお湯を入れて約3分、湯切りしてソースを混ぜ食べ始める頃には終わっています。
ただし歌詞はカップ焼きそばを食べながら、のんびりと聴くことを拒否する言葉が並びます。崩壊・背信・謝罪、歌の中心になる言葉はあまり耳にしたくないものばかり。
歌詞全体が平仮名多めになっているのは、重さや圧迫感を避けた作詞家の思いやりかもしれません。
こちら側の裏切りを見逃してくれた相手を“やさしい人”と言い切る身勝手さ。
強気な一面も隠さない、上から目線の恋愛ですが、淋しさが見え隠れしているのは、降り続く雨のせいでしょうか。
止まない雨に涙は見せない♪
ああ みずいろの雨
私の肩を抱いてつつんで降り続くの
ああ くずれてしまえ
あとかたもなく流されてゆく愛のかたち
やさしい人ね あなたって人は
見ないふりしていたの 私のあやまち
ひとときの気まぐれ 通りすぎるまで
忘れてよ 忘れてよ 愛したことなど
出典: みずいろの雨/作詞:三浦徳子 作曲:八神純子