人生はゲーム
誰れも自分を
愛しているだけの
悲しいゲームさ
出典: スローなブギにしてくれ/作詞:松本隆 作曲:南佳孝
ハードボイルド小説には独特の悲観主義が漂っています。
人をあまり信じ込まないからこそ孤独な男が主人公になる傾向があるのです。
ペシミスティックな側面といいましょうか固有の暗さがハードボイルドである所以でしょう。
明るい人生ならば背負うものも軽そうに思えて説得力がなくなりますから仕方のないことです。
こうしたハードボイルドにありがちな言葉を好めるかどうかで好き嫌いが分かれるかもしれません。
映画「スローなブギにしてくれ」の藤田敏八監督作品も多くは宿命的な暗さがあります。
しかし人間というものを深く考えてゆくといずれある種の暗さを帯びてしまうのは仕方ないかも。
実存主義哲学などにある暗さなどにこの世代のクリエイターは大きな影響を受けました。
それは戦争体験や戦後の混乱と物資のなさなどの社会的な背景と無縁ではありません。
一方で松本隆という作詞家は不思議なもので変幻自在です。
女性アイドルの華やかな歌を書いたり、割と旧い女性観をもった歌詞を書いたりと掴みどころがない。
不思議な人で定まった評価など気にしない方なのでしょう。
予想外の歌詞を書くこともあり、「スローなブギにしてくれ」のハードボイルドな展開も書ける天才。
その分、歌詞に書いたことが松本隆の本音とは思えなかったりします。
この曲の少し先に松本隆の全盛期が待っているのです。
そうした全盛期の歌詞にこの曲ほどペシミスティックなフレーズはなかったように思います。
そうした点では松本隆にとって「スローなブギにしてくれ」は異色作かもしれません。
ハードボイルドとアルコール
嗜好品と時代の変遷
Want you 弱いとこを見せちまったね
強いジンのせいさ
おまえが欲しい
出典: スローなブギにしてくれ/作詞:松本隆 作曲:南佳孝
先ほどのペシミスティックなフレーズをフォローするような言葉をすかさず書く。
松本隆のキレキレの才能は本当に素晴らしいです。
「俺」が選んだアルコールがジンというのも決まっています。
フィリップ・マーロウの元祖ハードボイルド小説にもアルコールの描写がたくさんあるのです。
アルコールやタバコといったアイテムはハードボイルド小説には必須でしょう。
こうした傾向に憧れて昔の青少年は大人の男になったらアルコールとタバコを嗜むようになります。
今はこうした世界観は嫌われるかもしれません。
かつてほどアルコールやタバコは消費されていないです。
タバコに関してはメディアでの露出も自主規制させるようになり大人の必須アイテムではなくなりました。
今後はアルコールに関しても同じ傾向が生まれるかもしれません。
絵になる男の姿は時代とともに変わりゆきます。
今の若い方はこの歌を聴いて「さあ、俺も今夜はジンで決めよう」なんて思わないはず。
タフな男にとってもアルコールとはほどほどの関係がちょうどいいのは確かなこと。
これからハードボイルド小説のアイテムも変わってゆくかもしれません。
しかし時代は1981年。
駅のプラットホームに吸い殻入れが設置されていた時代です。
アルコールに関しての警戒心はさらにゆるゆるでした。
「俺」の言葉も酔った勢いでの告白でなければいいのですが先を見ていきましょう。
タフでなければ生きていけない
優しくなければ生きている資格はない
人生はゲーム
互いの傷を
慰め合えれば
答えはいらない
出典: スローなブギにしてくれ/作詞:松本隆 作曲:南佳孝
ハードボイルドの世界観は人生に過剰な深刻さを求めない奇妙な軽さも持ち合わせています。
社会変革運動の興隆や革命に生きるなどといった前時代のメンタリティーとは決別したのでしょう。
自己愛のようなものが過剰に膨れあがるのがハードボイルドの基軸です。
「俺」や「私」のように一人称が基本の語り口であることがその証拠でしょう。
こうした世界観を持った男性はどうしても女性を道具化してしまう嫌いがあります。
ただし女性には優しく接する面もあるのです。
「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格はない」
この言葉は角川映画のキャッチコピーで有名になりました。
元々は「プレイバック レイモンド・チャンドラー」の中のキメ台詞です。
他人には礼儀正しく振る舞うのが大人の男であり、淑女に関してはさらに優しく接しなければならない。
ハードボイルド小説がサラリーマンにもよく読まれた1970年代から1980年代の時代精神にマッチします。
ハードボイルドとは極めようとするととことん大人の世界なのです。
刹那な生き方や恋愛関係と大人の男になることがイコールだった時代をよく象徴する歌詞でしょう。
傷とは歌詞の冒頭に出てきた旧友の死です。
重い過去を慰めあえる関係を「俺」は求めます。
そのことをどこか男性原理的だなと解釈する方もいらっしゃるはずです。
そしてその解釈は決して間違いではありません。
ハードボイルドな世界観を持つ男性は今や絶滅危惧種になっているのは時代の進歩も関係あります。
かつての時代のようにこの男性原理が素直に受け入れられる社会ではなくなってしまったかもしれません。
それは社会の成熟と大いに関係があり、決して悲しむ必要はないとも想います。
「スローなブギにしてくれ」の祈り
永遠のリクエスト・ナンバーとして
Want you want you 俺の肩を抱きしめてくれ
理由なんかないさ
おまえが欲しい
出典: スローなブギにしてくれ/作詞:松本隆 作曲:南佳孝
転調が印象的な箇所です。
ついに歌のクライマックスまで到達いたしました。
この曲の副題は「I want you」という直截的なもの。
アルコールが深く身体に沁み込んだ夜は早く家に帰ったほうがいいのですが。
こんな夜ほど寂しくなるのが男性の常です。
女性の側の自意識もまだまだ覚醒めきっていなかったのでしょうか、こうした男性にも需要がありました。
現代の日本社会でこの感性が普遍性を持っているかどうかはかなり怪しいです。
それでもかつて日本ではハードボイルド小説の一大ブームが起こりました。
また、現代でも村上春樹のような著名な作家がレイモンド・チャンドラーの翻訳を新たに手がけています。
かつてのように男性の憧れる男性像としてそのまま浸透している時代は終わりました。
あくまでもアメリカ文学の古典として読みつがれる下地の中で村上春樹は翻訳しています。
あまりにも文学的な需要であって、大衆的に広く好まれた時代とは消費のされ方が違います。
南佳孝、あるいは松本隆の「スローなブギにしてくれ」もまた昭和歌謡として聴かれているのかもしれません。
旧き良き時代の名曲として、ちょっと距離を置いた音楽としての接し方です。
現代の日本でこの歌詞のように夜を過ごしてもあまりいいことはなさそうだなと思います。
それでもあまり性急な音楽はやめて欲しい。
今夜は死んだ友人のために「スローなブギにしてくれ」と祈る。
そんな心持ちの夜が人に訪れることは理解可能です。
この曲に潜む故人への祈りのような情感はとても大切なもの。
「スローなブギにしてくれ」は死んだ友人のためのリクエスト・ナンバーとしてこの先も生き続けるでしょう。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。