飼い殺していませんか?
『車輪の唄』に収録
また、この曲に関連してのコメントとして藤原は「最近、夢を持っても飼い殺す人が多くないかな」と語っていた。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/車輪の唄
人は様々なきっかけで夢を持つもの。
しかし「こうなりたい」と思うだけで何もしない人も数多くいます。
もしくは、確かに夢を追っていたけれども日常にながされてしまった人もいるでしょう。
それは言い換えてみれば夢を飼い殺しているといえるのかもしれません。
夢は放し飼いで勝手に育っていく物ではないのです。
誰かがきちんと面倒を見て育てなければなりません。
その誰かとは誰なのでしょうか。
ペットではなくて
どんどん飾り付けていく
餌を与えて 散歩にも行って 沢山触った
首輪を巻いて 服まで着せて 紐で繋いだ
人が来れば 見せびらかして 鼻を高くした
出典: 車輪の唄/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
最初の方に出てくる歌詞です。
この部分までを見るとこの曲はペットとの曲かな?と感じます。
ペットとの絆を描いた曲もたくさんあり、実はその考えは決して間違いではありません。
しかしこのペットは猫や犬ではないのです。
このタイトルの名前は『夢の飼い主』。
そう、この曲は夢をペットに見立てて歌っています。
形のないものをペットに見立てるというのは違和感を感じてしまうかもしれません。
しかし、夢というのは本来自分勝手に育つものではないのです。
夢が育つためには努力という餌が必要です。
夢を叶えるためには何が必要なのか歩き回って調べる必要もあるでしょう。
調べる際にはその夢がどういうものなのか把握しておく必要もあります。
そうして知っていくうちにどんどん願い事は増えていきます。
例えば最初は好きな漫画に影響されて「こんな絵を描きたい」と思ったとしましょう。
そうして絵を描いていくごとにもっと多くの人の見てもらいたい、評価されたいと思っていきます。
夢というのは輝かしくて持っているだけでも誰かに自慢したくなるものです。
そうするとどんどんと声が大きくなってしまって。
どんどん輝かしい飾りと言葉で彩っていくのです。
そうして飼い主になる
親がただ親になるのではないように、飼い主もただ自然と飼い主になるわけではありません。
相手を知って抱きしめて飼い主になっていきます。
自覚はなかったけれど
生まれた時は 覚えてないが 呼吸をしていた
理由はないけど 生みの親は ひと目でわかった
出典: 車輪の唄/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
歌詞の冒頭に戻りましょう。
夢が生まれたところから歌は始まります。
どんな生き物も生まれた時のことは覚えてないものです。
夢にしても同じこと。
きっかけは確かにあるかもしれません。
しかしそれが生まれたタイミングをすぐさま言える人はいるのでしょうか。
好きになって、憧れてそうして積み重なっていく思い。
自覚するよりもずっと前に夢は芽生えていたはず。
その自覚する前の時点こそが夢が生まれた瞬間です。
自分自身ですら気が付いていない時に夢は生まれていたのです。
そして夢はノートのように貸し借りすることはできません。
夢というのはその人のものでしかないからです。
1人しかいないのだから他の人と間違えることはないでしょう。
理由はないのではなく理由はいらないのかもしれません。
名前を付けるということは
まだ小さくて 白い体 すり寄せてみた
彼女はやっとそれに気づいて名前を付けた
出典: 車輪の唄/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
彼女=夢の飼い主のこと。
先に夢は自覚する前に生まれていたと述べました。
生まれたものは生みの親に認識してもらいたいと思うのも当然といえるかもしれません。
まだ生まれたばかりだから何の装飾もない白い体。
それは憧れとか好意とかそういった正の感情が詰まった純粋なものなのでしょう。
そうして名前のわからない、形のないものに人は名前を付けます。
ここで「名前」をつけたというのは注目したいところ。
霧のようにあやふやなものも名前を付けると実体がつくられます。
そうすれば誰かに説明するにしても自分で扱うにしても容易くなります。
加えていえば名前を付けるという行為は一種の支配ともいえるでしょう。
それ自体が首輪をつけることにもつながります。
そうして彼女は飼い主になるのです。