「燃えてた炎」とは、まさに「情熱」のことでしょう。
心の中で燃え盛っていたはずの情熱は、今は姿が見えないようです。
何かをきっかけに消えてしまった、その可能性もあるでしょう。
しかし曲の主人公はそうは考えていない様子。
なぜなら、次のフレーズにこう記されているからです。
灰になったとしても
あの情熱だけは忘れない
出典: I don't know/作詞:吉井和哉 作曲:吉井和哉
燃え盛る姿が見えないのならば、消えたのではなく燃え尽きてしまったのだ。
そう考えているのです。
確信を持つ理由は
通常の炎であれば、途中で消えてしまうことはざらです。
雨が降るなどして水がかかったり、何かに覆われて酸素が遮断されたり、強い風が吹いたり。
そんなことで容易に消えてしまうことはたくさんあります。
しかしそうではなく、燃えていたものが灰になるまで、最後の最後まで燃やし尽くしたはずだ。
疑うべくもなくそう思っているのです。
なぜそのような自信があるのか。
それはこの「情熱」が、紛れもなく曲の主人公その人のものだからでしょう。
なくしてしまった記憶
情熱の記憶
しかし、灰に「なった」ではなく「なったとしても」と表現する主人公。
それはつまり、本当のところはどうなのかがわからない状態ということです。
自分自身の情熱のはずなのに、なぜ行く末がわからないのでしょう。
そう、なぜならその「情熱」こそが、主人公が無理やり心の奥底に押し込めてしまったものだからです。
一番大事な、なくしもの
恐らくこの「情熱」は、冒頭の「暗く長い道」を明るく照らし、足を前へ進ませる原動力だったはずです。
しかし、その記憶を押し込めてしまったがゆえに、主人公にはわからなくなってしまったのです。
自分が歩いている道は何なのか、どこへ続くのか。
その道を「人生」だとすると、わからなくなってしまったことは、ただ一つ。
「自分は一体誰なのか」ということです。
「空」に向かえど
わたしは誰かと空に尋ねても答えてくれない
優しいだけの青ばかりで
出典: I don't know/作詞:吉井和哉 作曲:吉井和哉
晴れ渡る青い空を見上げるという描写。
通常は、それと同じように心が澄み渡るような場面で使われることが多いでしょう。
しかし、主人公の心はどちらかというと、むなしさを抱えているように聞こえます。
それもそのはず、空に向かって何かを問いかけても、答えが返ってくることなどないからです。
空を見上げて話しかけることは、個人の自由です。
空には、何も言わず無限の広さで言葉や感情を受け止めてくれる「優しさ」があります。
けれどそのかわりに、言葉を返してくることはありません。
答えの欲しい問いかけをしたのに、それが返ってこない。
とすれば、「空(そら)」というより「空(から)」に話しかけているような感覚に陥ってしまう。
それも無理はないでしょう。
たとえ、空からの返答などは期待できるはずもないと、わかりきっていたとしても。
「自分」を追い求めて
なくしてしまった理由
自分は一体誰なのか。
その問いの答えは、曲の中で明かされることはありません。
それ故に主人公も、道を進んでいく以外の描写はなく終わります。
しかし、現在はそれほどまでに知りたいと追い求める「自分」の記憶。
過去の主人公は、それをどうして押し込めてしまったのでしょうか。
そのヒントはこの箇所にあります。