足を止められて
踏切を待つ 真っ赤なサイレンが
規則正しく 叫ぶ
出典: I don't know/作詞:吉井和哉 作曲:吉井和哉
歩くようなリズムが、ここだけ踏切の警告音と重なって聞こえるような、どこか危ういフレーズ。
遮断機に足を止められ、ごうごうと音を立てて通り過ぎる電車を目に映しながら立ち尽くしている。
そんな様子が目に浮かびます。
けれど、一時足を止められて、その前をただ電車が通り過ぎただけの情景です。
それを「悲しみ」とまで表現するのは、どこか不思議な気もしませんか。
人間がなくしたもの
実はTHE YELLOW MONKEYには、電車に「乗っている」側を描写した曲があります。
「9999」の一つ前、つまり解散前最後にリリースされたアルバム「8」収録の曲です。
朝は立ったままでストレス そっとしたいユウウツ
雇われてるモラル
出典: DEAR FEELING/作詞:吉井和哉 作曲:吉井和哉
満員電車に乗って毎朝通勤しなければならない中で、生き物らしい感情を失いそうになっている人間。
そんな様子を匂わせる歌詞と、それと裏腹にエモーショナルなストリングスの音が印象的な一曲です。
喪失、それは悲しみ
機械的なリズムとともに通り過ぎる電車が、そんな人間を乗せて走るものだとしたら。
それは確かに悲しみの象徴なのかもしれません。
感情を失ってしまうことは、その人らしく生きることを失うということにもつながるからです。
そういった意味では、「自分」がわからなくなっている主人公もまた、そうなりかけているのかもしれません。
だからこそ、自分を完全に失わないように、押し込めた記憶を探っているのでしょう。
わずかながら残っている情熱に触れ、「自分」を取り戻したいと思っているのかもしれません。
その情熱がもはや「温もり」程度まで冷めてしまっていたとしても。
もしかしたら、その情熱とともにあった記憶が辛いものだったがゆえに、押し込めてしまっていたのだとしても。
そして、それが元は誰のものだったのか、はっきりとはわからなくなっていたとしても。
自分への返答
いつか出会う答えを求めて
自分は一体誰なのか。
誰も答えをくれないからこそ、主人公はそれを自分に問い続けます。
そしてその手がかりとなりそうな情熱をも、自分の中に追い求めるのです。
そう考えると、この「あなた」は、探し求めている「自分」であるのかもしれません。
葛藤を続けながらも道を進んでいけば、いつかまた出会えるかもしれない。
情熱を燃やし続けていたはずの自分自身に。
そう自分に言い聞かせることによって、主人公は歩を進めます。
タイトルの意味とは
ちなみに「I don't know」は直訳すると「私は知らない」となります。
日常会話の中で使うとなると、やや乱暴な言い方になってしまうこともあるこのフレーズ。
(例えば道を聞かれた時に『知らない』ときっぱり答えたら、きつい印象になるものです。)
けれどこれも、自分自身に言っているとしたら、しっくりきます。
その一言を、自分に
道を進んでいれば、情熱を取り戻そうとしていれば。
いつかまた、いつかの自分自身に出会えるかもしれない。
それはいつになるのか、本当に出会えるのか。
そんな自分への問いかけに「知らねえよ」と一言返し、主人公は人生という道を歩み続けます。
相当な覚悟を背負って。