「Amazing」が伝えること
2019年5月15日発表、Official髭男dismの通算2作目のシングル「Pretender」。
このシングルのカップリング曲として発表された「Amazing」について解説いたします。
この楽曲は2019年10月9日発表のアルバム「Traveler」にも収録されました。
小笹大輔によるハードなギター・リフで幕を開けます。
全編に渡って懐かしいアメリカン・プログレッシブ・ハードロックの薫りがするのです。
しかしメンバーが生まれる遥か昔に流行したロック音楽ですから影響されたかどうかは不明です。
若い世代のリスナーにはむしろ新しいサウンドとして受け入れられているのでしょう。
色々な音楽を吸収して成長してゆくOfficial髭男dismのダイナミズム。
古い音楽から影響を受けても新しい装いでポップにパッケージングできる傑出した才能。
そうしたものが彼らにあるのかもしれません。
「Amazing」の歌詞の背景には閉塞感を日に日に増してゆく日本社会の現状へのアンチテーゼが含まれます。
鬱屈した現状を打ち破って前へ進んでゆきたいという力強いメッセージが核心部分です。
この曲の歌詞を仔細に検討しながら明日を切り拓いてゆくための処方箋を探しましょう。
それでは実際の歌詞をご覧ください。
人生のポジティブさ
アッパーなサウンドにびっくり
Amazing It's Amazing
謎めいた人生へバンジー Wow
Amazing It's Amazing
どうか恐れないで行け
出典: Amazing/作詞:藤原聡 作曲:藤原聡
歌い出しの歌詞になります。
小笹大輔によるゴリゴリにハードなギター・リフで幕を明けた直後の歌です。
ハードなリフの応酬でどんなサウンドが展開されるのかドキドキしたことでしょう。
ところが藤原聡の優しい声音でのボーカルが入るといつものポップさが露わになります。
歌が始まるとともにハードな印象は若干薄れて軽快なサウンドに変わるのです。
それでもOfficial髭男dismの楽曲の中ではとびきりアッパーな楽曲には違いありません。
彼らの2作目のフルアルバム「Traveler」はさらにサウンドのバリエーションを広げました。
雑食性のような彼らの音楽的嗜好と独自のポップさが相俟った傑作になっています。
バラエティに富んだアルバムの中でこそその真価を思い知らされるような楽曲が「Amazing」です。
若いリスナーは新しいサウンドを感じるでしょう。
一方で歳を重ねたリスナーは1970年代後半から1980年代初頭のアメリカン・ロックの薫りを感じます。
幅広い年齢層のリスナーに訴求する力を持った楽曲が「Amazing」です。
予定調和からの逃走
歌い出しの歌詞は序章に過ぎません。
一方でこの楽曲全体を総括するような内容を最初に提示しています。
人生の素晴らしさに目を啓くような新しい生活を始めよう。
ここで現れるバンジーというものは驚きによって新しい価値に目を醒まさせられることの隠喩です。
予定調和によって昨日と今日の区別もつかないような日々からの脱却を願います。
「Amazing」の歌詞はすべて語り手の独白です。
語り手の一人称は不明。
僕でも私でもオレでもリスナーが好きなように選んでいいのかもしれません。
語り手は一方的にまくし立てていきます。
しかしその内容はすべてリスナーの共感を得られるような内容です。
現代日本社会の負の部分をあげつらうのですが決してネガティブではないでしょう。
というのも人生の「Amazing」さに目を啓いて前へ進む意志が歌詞を貫徹しているからです。
アニメ文化に慣れた世代にはこうしたポジティブさは身近なものかもしれません。
Official髭男dismがなぜこの時代にあって圧倒的な支持を得ているのか。
その謎は藤原聡による歌詞に負うところが大きいでしょう。
先を見ていきます。
果敢に逃避を
足枷からの解放を願おう
誰に邪魔されても 関係ない この手足を
たとえ縛られたとしても 難無く夢を描くだろう
どうやら長いこと満員電車に揺られすぎたようだ
前ならえ 右にならえ もう勘弁してくれよ
今だ 走り出せ フリーダム
出典: Amazing/作詞:藤原聡 作曲:藤原聡
語り手は不自由な社会の足枷を振りほどこうと必死です。
実際、私たちは現実生活で様々な重圧に押し潰されそうになっています。
あまりにも日常的な風景の中にこうした重圧がマスキングされているので不自由さに気付かないこと。
学校教育の段階から様々な規律や規範に従うことを教育されます。
立派で忠実な社会人になるためのレッスンをすべての生徒に強いるのです。
こうしたレッスンに耐えられる人間になることこそが卒業のための大事な資格になります。
学園を卒業した後にこそ本番の重圧が私たちを襲うでしょう。
しかし生活するために私たちは無理な事柄を強いられても社会に隷属するのです。
語り手は藤原聡の本心かもしれません。
彼は地元山陰で島根銀行の営業マンをしていました。
その後、自由人たるアーティストの道へと本格的に進んでゆきます。
一度、社会の中で揉まれたことがある彼だからこそ説得力を増す言葉でしょう。
彼は能動的に夢を叶える仕事である音楽家へと成長するのです。
社会に隷属する立場から社会の周縁部にいるアーティストに職業を変えます。
社会の周縁部では足枷のようなものから解放されるのでしょう。
自身の夢へ一心不乱に歩んでゆくことを宣言するのです。
整列文化と軍隊教育
日本とりわけ首都圏の満員電車の事情は海外の先進国では驚かされるようです。
人間を家畜とでも思っているのではないかなどという辛辣な批判がなされています。
私たち日本人にとってあまりにも慣れすぎた問題であるのでこれが重大な人権問題だと理解していません。
しかし人権に関しての先駆者である欧米社会からの視点から見ると異様な事態に思われるのです。
私たちの社会には海外からの批判に耳を貸さない人々がいます。
海外からの批判で日本の価値が毀損されているような気がするという人々です。
こうした人たちが私たちの社会を人間らしいものにすることを阻んでしまうのでしょう。
満員電車に限らず、学校教育での整列の強要についても歌われます。
これは学校教育だけではなく比喩として権威のいいなりに馴致されている人々のことを指すのです。
ただ元になっている学校教育の整列の強制もまたその他の先進国からは異常なものと考えられています。
学校現場での整列の強制は軍国主義教育の名残りです。
軍隊での一糸乱れぬ行進や整列を教育現場で叩き込むものでありました。
こうした旧い教育がさして再検証されることもなく今の教育現場に残っているのは異常でしょう。
自由を基礎とする戦後民主主義社会であるならば、整列の中から飛び出ることこそが大事なのです。
語り手はその通りに満員電車からも整列の中からも果敢な逃避を企てます。