19「『果てのない道』」

【19/『果てのない道』】歌詞の意味を徹底解釈!旅立ちがテーマ?!毎日を頑張る人たちに聞いてほしい!の画像

「上京」がテーマ!

19の「『果てのない道』」は、2000年4月21日にリリースされた4枚目のシングルに収録されています。

まずは、気になるタイトルの「『』」ですが、これは曲名にのみ付いていてシングルとしての作品名は「果てのない道」になっています。

では、なぜ、二重鉤括弧で括られているのでしょうか?

一般的に作品のタイトルには二重鉤括弧を付けるものですが、それだけならシングルのタイトルにも付いていてもおかしくありません。

シングルタイトルと区別するためとも考えられますが、筆者の推測ではこれは閉塞感を表しているのではないかと考えています。

というのも、この楽曲は 「上京」をテーマに歌った曲なのです。

彼らは音楽の道を志して東京へと出てきましたが、事務所など色んなしがらみに振り回されてきたのかもしれません。

そこから生まれた閉塞感を二重鉤括弧で表現し、本来、果てのない道である音楽の道を閉ざしてしまうことに対する危惧を表現していたと考えることができます。

実際に、このシングルがリリースされたのはメンバーであった326が脱退した後になります。

この326の脱退も事務所の「今後は2人組で売り出したい」との意向によるものらしいので、なんとなくそんな想像ができますね。

そんなこのシングルですが、しっかりとヒットを記録しており、オリコンチャート最高順位は2位を叩き出しています。

これまでのアーティストイメージをガラッと変え、シンプルなスタイルで楽曲の内容も少し大人になった彼らが窺えるようなものになっています。

また、ロッテのお菓子である「フラッテ」のCMソングにも起用され、耳馴染みの良い楽曲でリスナーの心を掴みました。

それでは、次にそんな「『果てのない道』」の歌詞に迫っていきましょう。

歌詞の意味を徹底解釈!

旅立ちがテーマ?!

たくさんの 人達におくられながら
空港のゲートくぐる
眠たい目 こすりながら
みんなに手を振りながら 機内に入る

出典: 『果てのない道』/作詞:岡平健治 作曲:岡平健治

まずは、導入部分です。

「上京」をテーマにしているだけあって、地元を旅立っていく情景が上手に描かれています。

彼らの地元は広島であり、東京へ来るのに飛行機を使ったのでしょう。

たくさんの人に見送られていることからは、彼らが地元でも人気があったことが窺えます。

機内アナウンス 「これから飛び立ちます」
たまたま窓側 息のつまる思いで 外を見ます

出典: 『果てのない道』/作詞:岡平健治 作曲:岡平健治

そして、いよいよ離陸の時がやってきます。

窓側の席に座り、窓から眺める景色に地元を離れる寂しさと上京することによる高揚感の入り混じった複雑な想いをしているのではないでしょうか。

重圧に耐えながら 外の冬景色
僕の心うずまく 平野一面広がる 白銀世界
飛んで行く 飛んで行く 飛んで行く

出典: 『果てのない道』/作詞:岡平健治 作曲:岡平健治

そして、サビが訪れます。

この上京のタイミングは冬だったようです。

窓から見える冬景色を見ながら、この白銀世界のようにまっさらな気持ちで東京で一から頑張っていこうという前向きな想いを表現した歌詞になっています。

上京してから...

思い出す あの日の事 夢 希望 無謀
たくさん抱いて この地に 来ました

出典: 『果てのない道』/作詞:岡平健治 作曲:岡平健治

そして、2番では上京してからのことが描かれていきます。

旅立ちの日のことを思い出しながら、今一度、自分がどんな想いで上京してきたのかを再確認しています。

人のやさしさ 自分の弱さ
支えられ 冬が 3回 そして 春が訪れます

出典: 『果てのない道』/作詞:岡平健治 作曲:岡平健治

そして、上京してから苦しいことも辛いことも経験したことが分かる歌詞が出てきます。

しかし、そんな苦難も周りの人に支えられながら乗り越え、なんとか3年が経ったようです。

何事も3年とは言ったもので、今、苦しんでいる人や悩んでいる人、夢に向かって頑張っている人へ向けたような歌詞に背中を押されますね。

言葉に出来なくて 電車に乗って行くよ
口数少なくて 大きなかけにでた
悲しいことも 見えてくる
見えるから 行くんだ

出典: 『果てのない道』/作詞:岡平健治 作曲:岡平健治

そんな人の優しさにどんな風に恩返しをしていくのか、それがここでは綴られていきます。

東京に出て一番使う交通手段は電車ではないでしょうか。

そんな電車に乗って向かう大きな賭けとは一体何でしょうか?

それはきっと音楽で大きなことを成し遂げるということだと考えられます。

この時期の彼らは、リリースの前年である1999年にNHK紅白歌合戦に出場したり、2000年にはシドニーオリンピックの日本代表選手団公式応援ソングを担当したりしていました。

そういった大きな挑戦を不言実行していくことで、支えてくれた人に恩返しをしようとしたのではないでしょうか。

また、そうやって大きな波に乗れば乗るほど、芸能界や音楽業界の悲しい部分もたくさん見えていたのかもしれません。

しかし、それでも前向きに頑張っていたことが窺え、そんなひたむきさに力をもらうことができます。