インスタントな知識に飛びついて

Mrs.GREEN APPLE【インフェルノ】歌詞の意味を独自解釈!現実は地獄?導きの先に何が待つの画像

ところで何故
僕らは思考を急に辞めているんだ
夢は安泰な暮らしだが
知識不足故にハラハラ

食せばYummy
ヨスガに縋り付いたまま朽ちて行くんだ
ここは業火の中だが
傷跡がヒリつき只

出典: インフェルノ/作詞:大森元貴 作曲:大森元貴

私たちの社会は熟慮することを嫌います

分厚い哲学書にチャレンジするよりも「100分で分かる名著」などの本を参考にするのです。

それでも書物と向かい合っている人はまだマシでしょう。

スマホ文化で画面の中のまとめサイトで知識を得ようとする人の方が多くなりました。

長引く出版不況はこうしたインスタントな知識に考えることが追いやられている現状に依拠します。

暮らしを快適にしようと考えるのでしたら何ごとも熟慮が必要でしょう。

しかし私たちは簡単に手に入る知識に飛びつきがちです。

その結果、生きてゆくのも大変な社会を誕生させてしまいました。

富の分配・再分配に偏りが目立つこの社会では勝ち組だけがこの世の春を謳歌します。

多数派は貧困層に追いやられているのですが社会を改革する智慧を身に着けようとはしません

大森元貴はこうした事態を憂慮します。

彼の作詞する歌詞が簡単には理解できないものであることはとても大事なことです。

相応の知識を得てからでないと理解できないものを提出することが彼の精一杯の挑戦なのでしょう。

大森元貴は知識というものを安易に考える世相に警鐘を鳴らしているのです。

傷口を炙られている日々

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Yummyとは美味しいという意味の言葉になります。

日々の食事に満足しているだけ。

私たちは寄る辺にしがみついて一生を終えます。

これでは生きる屍も同然じゃないか。

生きている意味とはもっと多様で深いものではないのか。

本来の生を生ききれない私たちは地獄の火の中にいます。

知らぬうちに傷ができていたことに気付かされるのですがもう何もかも遅いのでしょうか。

地獄の様相を呈した現実の中で私たちは傷口を炙られているのです。

大森元貴はこの世界の先に何を見据えているのでしょうか。

もう少し先を見ていきましょう。

割と刹那なものにしがみつくしかない現況がさらに明らかになります。

自明の光に導かれ

ミセスこそがガイディング・ライト

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水面が立つ
光の方へ
手を取るは新しいメモリー
夜空が分かつ
導の方へ
遮るは堅苦しいセオリー

永遠は無いんだと 無いんだと云フ
やっぱ苦しいねと泣いてみる
風船もいつかは萎むか割れる
僕らは命の泉を護り続けて繋いでゆく

出典: インフェルノ/作詞:大森元貴 作曲:大森元貴

地獄の火の中で突如、ガイディング・ライトが現れます。

誰が放った光なのかはブラックボックスの中で明示されません。

神秘的な力なのかもしれませんし、自然が招いた奇跡かもしれない。

とにかく僕らはその光に吸い寄せられるように道を進むのです。

実際に行軍しているイメージが浮かびますが、かように暮らしを組織して人生を歩んでいるのでしょう。

僕らはお互いに助け合いながら人生を歩んでゆきます。

こうした在り方はもはや現実では見られなくなりました。

それでも大森元貴は助け合い生きる姿を喚起させます

優れたアーティストですから、彼らの存在自身がリスナーにとってはガイディング・ライトなのでしょう。

リスナーとともに運命を分け合いながら生きる姿にファンは胸を掴まれる想いをするはずです。

ここで導く光は自明の理を持つものでしょう。

誘われることに理由が必要のない夜空に浮かんだ導きの標。

古来、私たちは太陽や月、そして北極星など天体を導きの光に前へ進みました

その後にこうした導きの光の代わりになったのは近代哲学かもしれません。

ポスト・モダニズムの終焉まで様々な理論が現れては消えてゆきました。

ときには危険な理論に導かれて社会が破綻することもあったでしょう。

理論を過信することは危険ではないか。

大森元貴にはこうした理論への不信感があるのかもしれません。

永遠に触れるために愛を

Mrs.GREEN APPLE【インフェルノ】歌詞の意味を独自解釈!現実は地獄?導きの先に何が待つの画像

永遠がないことに「Like」のアイコンを押した僕ですがこのラインでは泣きます。

永遠というものがなければどんな価値に重きを置いていいのか分からなくなるでしょう。

しかし私たち個体は生まれては消えゆく儚い運命です。

どんなものも生まれて栄えて衰退し、最後には死を迎えます。

それでは永遠というものはないのか。

永遠というものは夢に過ぎないのかと諦めるしかないのでしょうか。

大森元貴はこの問いに答えを出します。

世代ごとにバトンを渡して僕らが生命を繋げてゆくその姿に永遠というものがいつか現れるのです。

ひとつの個体では永遠には触れられません。

パートナーを獲て愛を育み子どもを残してゆくこの営為の中で僕らは永遠に触れることができる。

その目的は永遠に触れるためだけではありません。

生命の線を伸ばすというのは生命そのものの自己目的化された営みによるものなのです。

永遠を誓えない世界は「インフェルノ」ですが抗うような力が生命体には備わっています。

人間讃歌「インフェルノ」

学びきれずに卒業
伝えきれずに失恋
遊びきれずに決別
面倒臭いが
地獄じゃあるまいし

音が出る玩具も
痛みを飛ばす魔法も
全部僕にとっての宝物
永遠は無いんだと 無いんだと云フ
僕らは命の火が消えるその日まで歩いてゆく

出典: インフェルノ/作詞:大森元貴 作曲:大森元貴

いよいよクライマックスです。

「インフェルノ」は思いの外、短い楽曲でした。

現実で私たちを悩ませる事柄を様々に挙げてゆきます。

こうした人生での躓きがある度に私たちは心を病んだりするのです。

しかし理由のある挫折はいつか乗り越えられます

問題の渦中にあるときは地獄の沙汰だと思い嘆くでしょう。

まさに「インフェルノ」であり地獄の様相を呈した現実があります。

そうはいってもこうした事柄はときの移ろいが解決してくれるのです。

乗り切れる困難を地獄の沙汰とはいえません。

人間にとっての地獄とはもっと絶望的な状況を指します。

たとえば信じていた永遠の愛。

その前提とする永遠などないといわれたらどうでしょうか。

このことはひとりの力では乗り越え不可能な事柄でしょう。

思うようにならない世界のルールを前に絶望を覚えること。

これこそ大森元貴が表した「インフェルノ」の正体です。

しかしこの「インフェルノ」の中で絶望に浸りきっている訳にもゆかないでしょう。

永遠に替わるような自分にとって大切な価値を他に見つけなければいけない。

大森元貴にとってはそれがエレキギターであり音楽でした。

インフェルノ

思うようにならない世界の中で突如現れるガイディング・ライトに導かれる。

それは希望の徴のようです。

とにかく明るい方へ向かう本能が私たち動物にはあるのでしょう。

歌詞の中の僕らもこの新しい光に導かれて生活を組織してゆきます。

苦労は絶えません。

まず生き抜くための智慧や知識の絶対量が不足しているからです。

それでも愚直に自分の生をまっとうしてゆくしか私たちに道はないのでしょう。

歌詞の中の僕、あるいは僕らも生命を繋げて次世代にバトンを渡して退場します。

最後の日が訪れるまで歩いてゆく人間の姿を描いているのです。

「インフェルノ」は地獄の様相を呈する現状についてだけ歌っているのではないのでしょう。

むしろこうした過酷な状況下でも私たち人間が生きてゆくことへの讃歌です。

永遠というものがなくても希望を繋ぐために生きる人間への讃歌がここにあります。

エッジが立ったギターのトーンの中でダイナミックに歌い上げた人間讃歌。

それがMrs. GREEN APPLEの「インフェルノ」の総体なのです。

この歌に励まされて今日も明日も愚直に生きてゆきましょう。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

OTOKAKEとMrs. GREEN APPLEの軌跡