主人公は必死に涙声を押し殺しながら改めて後悔に似た感情を感じます。
きっと彼女は「もう知らない!」とか「顔も見たくない!」などと言ってしまったのかもしれませんね。
本当は顔も見たくないなんて思っていないのに、本当にもう逢えなくなってしまいました。
「あれは怒ってつい言ってしまっただけ」と言う間もなく「それならもう別れよう」と言われてしまったのでしょう。
それとも、冗談半分で別れを切り出して、それが冗談でなくなってしまったのか。
どうしてあんなことを言ってしまったのだろう…と思いながら主人公は独りで泣き続けます。
恋人と別れた際にこれと似た思いをした経験、ありませんか?
後悔から思い出へ
二人で話した夢 初めて繋いだ手も
ただ全てがひたすら 胸の奥 現実を締め付ける
出典: ソプラノ/作詞:山下穂尊 作曲:山下穂尊
やがて主人公の意識は別れる間際から仲睦まじかった遠い日という過去へと向かいます。
「これからも一緒にいよう」のようなことを語り合ったのでしょうか。
そして一緒に繋いだ手の体温を思い出すのです。
しかし、この思い出が現実となって再び繰り返されることはありません。
誰かと別れる時、泣きながらふとその相手との思い出を思い返すものですよね。
四文字
あの日届いた恋の魔法は あなたの中できっと消えたの
出逢ったあの頃の夢を探す 意味のないことだって分かってる
もう少しだけそばにいたいと あのとき何故そう言えなかったろう…
遮るようにも聞こえた四文字 言わないでと願ったのに…
出典: ソプラノ/作詞:山下穂尊 作曲:山下穂尊
思い出に浸りつつも二人の間にあった愛情や夢がここで途絶えてしまったことと、本当の気持ちを言えずに終わってしまった悔いが語られています。
「遮るようにも聞こえた四文字」というのは別れを告げる容赦のない言葉だったでしょう。
主人公が「別れたくない」と言おうとしても、恋人はその寸前に別れを告げて去ってしまったのですね。
そのようなことを言われてしまえば、もう一生逢えない気がしてしまいますよね。
だから主人公も「聞きたくなかった」のではないでしょうか。
悲しみを乗り越えて
歩き出したあたしの歩幅は あの日よりも不確かだけど
覚束ない靴音に耳をすます いつかまた笑い合い逢えるかな
巡り巡る幾重の時間は それでもあたしの宝物で
何一つ色褪せぬ思い出だけこの胸にそっとしまおう この胸にそっとしまおう
出典: ソプラノ/作詞:山下穂尊 作曲:山下穂尊
曲の最後になって、ずっと泣いていた主人公はついに歩き出します。
これは単純に移動するための歩行だけではなく、別れという悲しみを乗り越えて彼女が前進していく様を表しているのでしょう。
自分で自分の覚束ない足取りで歩く靴音を聞きながら、「またあの人と出逢って、付き合っていた頃のように笑い合えるかな」と考えます。
そう、大好きな恋人との思い出はどんなに時間が経っても変わることはありません。
だから、主人公はその美しい記憶は宝物として、胸にしまって生きていこうと前に進みます。
「この胸にそっとしまっておこう」を二回繰り返しているのは、別れを乗り越えるための主人公の決意の強さの表れとも言えそうです。
ライブでは「ソプラノ」の歌詞が変わることも
ライブでは、アーティストが歌う曲の歌詞を敢えて変更するという場合があります。
実は「ソプラノ」も、いきものがかりのライブで歌詞が変えられる曲なのです。
どこが変わるのかというと、後半の「遮るようにも聞こえた四文字」の「四文字」の部分です。
ボーカルの吉岡聖恵さんは、ライブでこの「四文字」を「さよなら」と変えて歌っていらっしゃったことがありました。
「四文字」という、ぼかされていた言葉を「さよなら」という具体的な言葉にすることで、より歌詞の切なさが強調されています。
確かに「さよなら」は「四文字」です。
主人公の恋人は、彼女を遮るように「さよなら」と言って去っていったということが判明します。
「あの時彼は何を言ったのか」という謎を解き明かしてくれる改変ともいえるでしょう。
その上「四文字」という言葉自体も4文字なのですから、CDとライブで歌い分けることを想定していたのかもしれませんね。
「ソプラノ」はいきものがかりが大切にしている曲
曲名から考えるメンバーの思い
「ソプラノ」という曲名の由来は「女性のすすり泣く声」とされています。
女性の甲高く透明感のある悲しみの声を、音楽用語のソプラノと合わせているのでしょう。
いきものがかりの楽曲は私達にとって身近なものをテーマにしていることが多く、失恋も日常から遠いものではありません。
この曲が収録されている「ライフアルバム」も、そんな日常を題材にしたアルバムです。
こんな風にすすり泣くこともあるだろうけれど、その声や悲しみは恋人が好きだった証拠です。
その思い出を宝物にすること、それがメンバーが提示する悲しみの乗り越え方ではないでしょうか。