『ラブソング』とは

amazarashi「ラブソング」に出てくるストレルカとベルカとは?個性的な恋愛ソングの歌詞の意味!の画像

まず、『ラブソング』の収録作品など、概要について紹介します。この曲の概要を理解すると、この曲の歌詞も把握しやすいでしょう。

アルバムのタイトル曲

青森県出身の秋田ひろむを中心とするロックバンドamazarashi

歌詞をより深く知ってほしいという想いから、メディアに顔を出さない独自のスタンスを貫いていることで知られています。

amazarashiは秋田ひろむのエモーショナルな歌声と、心の奥や現代への疑問などを鋭くえぐるような歌詞の世界観が魅力です。

今回紹介する『ラブソング』は、そんなamazarashiの2012年6月に発売されたアルバムラブソング』に収録されているタイトル曲となっています。

世界に対するうらみや怒りを感じさせるこれまでの作品とは違い、人の温もりも感じられる新境地を開拓した作品です。

ストレルカとベルカとは?

『ラブソング』というタイトルを観ると、好きな人への想いや甘い恋の歌をイメージするのではないでしょうか。

それとは対照的に、amazarashiの『ラブソング』には消費される愛に対する皮肉が込めらているのです。アルバムの中でも「陰」の部分にあたると秋田ひろむも語っています。

都合の良いように利用されることの比喩として「ストレルカとベルカ」が歌詞の中に出てきます。

これは、1960年に宇宙に出発して地上にはじめて生還した2匹の雑種犬の名前です。

2匹の犬は有人宇宙飛行ができるかを検証するために、実験動物として使われました。

この実験の成功は世界中で喝采を浴び、輝かしい実績を残したと言えるでしょう。人間が宇宙を目指すための大切な一歩でもありました。

しかし、その成功までに57回以上の実験があったことを忘れてはいけません。

美しく見えるものや当たり前の現実は、悲しみや苦しみの上に成り立っていることがあるのです。

歌詞の意味を解釈

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次に、ラブソングへの皮肉が込められた気になる歌詞の意味を解釈したいと思います。

消費を促すメディア

未来は無いぜ 陽も射さない 時代葬ったカタコンベ
油田から昇る黒煙に 咳き込む妹微笑んで
西のバラックに配給を 取りに行った兄は帰らない
「お買い求めはお急ぎを」 とテレビだけが嫌に賑やかだ

出典: ラブソング/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ

カタコンベとはイタリア語で地下の墓所を指します。そこに陽が射すような明るい未来は埋葬されたと言う意味でしょう。

現在はどのような状況かと言えば、自動車や工場など消費される商品を生み出す元となる油田から煙が上がっています。

「咳き込む」という歌詞から、その煙によって妹は体調不良になっているのでしょう。

そして、彼女の兄は配給を得るためにボロボロの建物であるバラックに行きますが戻ることはありません。

もしかすると、そこに行くまでに命を落としたのかもしませんね。

そのような生きることも大変な状況を無視するようにテレビでは消費を促しています。

愛すら知らない人

愛すら知らない人が 居るのは確かだ
それを無視するのは何故だ それを無視するのが愛か?

出典: ラブソング/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ

「愛」は人同士の愛情や恋愛ということだけでなく、人や生き物への思いやりや大切にすることといった意味もあります。

キリスト教などの宗教的な解釈をすれば、神様がすべての人を慈しむということととらえることも可能です。

そのような深い愛を知らない人が「居るのは確か」と言っています。愛とは楽しいだけでなく、人の苦しみも受け止めるものだと言いたいのではないでしょうか。

それを見ないふりをして、まるで商品のように消費することが愛なのかと問いかけています。

ATM 電気椅子 ストレルカとペルカ 紙幣と硬貨
愛こそ全て
再来せと来世 社会性 人の指の首飾り 花飾り
愛こそ全て 信じ給え

出典: ラブソング/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ

ATMと電気椅子はどちらも電気を使いますが、その目的は大きく異なります。

物を買うための紙幣・硬貨を手に入れるためにATMは使われ、電気椅子は人の命を奪うために使われるのです。

ストレルカとペルカは人のさらなる発展のために利用されました。

「再来せと来世」は仏教の考え方です。「愛」を感情や想いとしてだけでなく、宗教的な意味としてとらえていることも感じられます。

他の人とうまくやっていくためには、「社会性」が重要です。

「人の指の首飾り」は戦争や争いをイメージさせます。その対比が美しい花飾りですね。

表面の事柄だけでなく、その裏にもさまざまな出来事があります。

そのようなことを無視して、「愛こそ全てと盲目的に信じれば良いのか」と疑問を投げ掛けているのではないでしょうか。

愛を買わなくちゃ