福山雅治【東京にもあったんだ】

“東京”3部作、完結編

福山雅治【東京にもあったんだ】歌詞の意味を考察!どう染まったの?離れても変わらないでほしいものとはの画像

歌手、俳優、音楽プロデューサー、写真家などマルチに活躍している福山雅治

2019年に50歳を迎えた彼は、変わらぬカッコ良さで人々を魅了しています。

今回は「福山史上最強の涙腺刺激ソング」といわれている彼の楽曲をお届けしましょう。

長崎県出身の彼が、“東京”をテーマに描いた3部作の完結編で、タイトルは【東京にもあったんだ】

2005年にリリースの【東京】、アルバム「5年モノ」に収録の【BEAUTIFUL DAY】に続く楽曲です。

東京の美しい景色に対する感動や、東京で暮らすことへの苦しみが描かれたこの作品。

東京出身ではない彼だからこそ描ける東京の姿が感じられ、とても新鮮です。

上京して、東京で暮らしている人にとってはかなり共感できる内容なのではないでしょうか。

映画『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』主題歌

福山雅治【東京にもあったんだ】歌詞の意味を考察!どう染まったの?離れても変わらないでほしいものとはの画像

1960年代。3歳のボクは、真夜中に帰ってきた酔っ払いのオトンにいきなり焼き鳥の串を食べさせられる。オトンに手を焼いたオカンはボクを筑豊の実家に連れ帰り、妹の“ブーブーおばさん”の小料理屋を手伝いながら、女手一つでボクを育て始めるのだった。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/東京タワー_〜オカンとボクと、時々、オトン〜_(映画)

【東京にもあったんだ】は、2007年に公開の映画『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』主題歌

この作品は福山と同じくマルチタレントのリリー・フランキーによる同名の小説が原作です。

そのリリー・フランキーに映画主題歌の書き下ろし依頼を受けた福山。

元々アルバム曲として制作中だった【東京にもあったんだ】を、映画向けに作り直してシングルしました。

映画の後半では、主人公の「ボク」が東京で働き始めた頃に母(=オカン)の身体に癌が見つかったことが分かります。

そして、その母を東京に呼び寄せ、東京で二人暮らしを始める「ボク」。

命短い母と東京で過ごす「ボク」の切ない物語に、主題歌である【東京にもあったんだ】は優しく寄り添うのです。

まずは、Music Clipをチェック

まずは実際に【東京にもあったんだ】を聴いてみましょう。

ご紹介するのは、この楽曲のMusic Clipです。

歌詞にも登場する、東京の美しい景色と共に楽曲を歌う福山雅治が映し出されます。

そこには映画にちなんだ東京のシンボル、東京タワーの姿も。

囁くような福山の優しい歌声をどうぞ堪能してください。

東京という場所

それでは歌詞を解説してきましょう。

まずは1番の歌詞

ここでは、上京してきた主人公が見た「東京」の姿が語られています。

イメージしていたものと実際の姿はどう違ったのか、そんな場所で主人公はどう変わっていったのでしょうか?

東京の美しさ

東京にもあったんだ
こんなキレイな夕陽が
うれしいな 君に見せたいな
君は元気かな
東京にもあったんだ
こんなキレイな月が
うれしいな 君も見てるかな
君に逢いたいな

出典: 東京にもあったんだ/作詞:福山雅治 作曲:福山雅治

上京してきて、主人公が最初に驚いたのは東京の美しい景色

東京出身ではない人にとって、東京は自然なものがないイメージなのです。

背の高いビルが立ち並び、夜中でもネオンが光る街並み…。

だからこそ、夕陽や月などは人工的な光に負けて見えないはずだと主人公は思っていたのでしょう。

けれど、実際には東京にもあったのです。

そんな美しい景色を見て、主人公が思い出したのは故郷の大切な人。

きっと一緒に東京のイメージを語り合っていた人なのでしょう。

主人公は東京でも夕陽や月が見えたよ!と、「君」に教えてあげたくなったのです。

東京にきた理由

いま以上 自分以上に
なりたかったんだよ
急いで 急いで...
勝つために覚えたこと
この街のルールに
少しだけ染まったよ

出典: 東京にもあったんだ/作詞:福山雅治 作曲:福山雅治

ここでは主人公が東京にきた理由が語られています。

東京は夢見る若者たちが集まる場所。

有名になりたい、自分の力を試したい…そんな人たちが東京にはたくさんいます。

福山自身も勤めていた会社を辞め、当時付き合っていた彼女とも別れて18歳で上京したそうです。

それは歌手になるため。

そして出てきた東京で、夢を叶えるために奔走します。

早く成功しなくちゃいけない、他人を蹴落としてでも這い上がらなきゃいけない…。

そんな風に変わってしまった自分に対する主人公の悲しさは、福山自身が感じたことのある想いでもあるのでしょう。