愛が消えたあの日

いたずらで 人を泣かせるなと
大人から 頬を打たれた
あのひとも 遠く連れ去られ
愛が消えた あの日
少しだけ時が行き
もう過去といえる 恋の日々を
青空が連れてきた
もう二度と逢えぬ あのひとだろう

出典: ブルースカイブルー/作詞:阿久悠 作曲:馬飼野康二

この部分から、年の差のある禁断の恋?だったと悟ることができますね。

禁断の恋に溺れていた彼は大人から叱られます。この大人は想像ですがもしかしたら彼女の婚約者Or夫?あるいは彼の両親?

若い彼ときっと年上の彼女との禁断の恋はここで幕を閉じます。

完全に引き裂かれた二人は、もう一生顔を合わせることもないでしょう。

彼にとってもすでに過去の出来事と理解をしていますが、皮肉にも青空を見る度、彼女のことを思い出すのです。

青空よ心を伝えて欲しい

青空よ 心を伝えてよ
悲しみは 余りにも大きい
青空よ 遠い人に伝えて
さよならと

出典: ブルースカイブルー/作詞:阿久悠 作曲:馬飼野康二

彼の頭の中では、理解ができていても、気持ちはまだ揺らいでいます。

どうしても拭い去ることができない悲しい気持ちを、出来ることなら遠くのどこかで同じ青い空を見つめてる彼女に伝えて欲しい。

さよなら。これからはお互いの道を進んでいこう。と叶わなかった恋への終止符を打ちます。

タイトルの「ブルースカイブルー」は青い空にブルーな気持ちの自分という対比した比喩が隠されている気がします。

西城秀樹の「ブルースカイ ブルー」歌詞ページ。「ブルースカイ ブルー」は、作詞:阿久悠、作曲:馬飼野康二。

「ブルスカイブルー」を世に送り出した阿久悠の詩の世界

狂気の伝達

阿久 悠(あく ゆう、1937年2月7日 - 2007年8月1日)は、日本の放送作家、詩人、作詞家、小説家。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/阿久悠

「ブルースカイブルー」の作詞は、約5000曲もの曲を世に送り出してきた偉大な作詞家「阿久悠」。

阿久悠の作詞は、時代の背景と密着した歌詞が特徴です。

70年代は最初のアイドルブームで、売れっ子歌手なら3ヶ月に1曲のペースで新曲をリリース(カップリングを含めるので正確には2曲)。

凄い勢いで新曲が発売された最中の売れっ子作詞家だった阿久悠の原稿は、どんなに忙しくてもいつも手書き。

直筆で書く原稿を作曲者に渡すというのは、ある一種のプレッシャーを伝達するための方法で、作詞者の作品へのウエイトを感じてもらいたかった意図があるようです。

阿久悠の作詞のテーマは「狂気の伝達」。自分の作った歌詞が熱やエネルギーをおびて楽曲として伝わることを常に意識していたとか。

「ブルースカイブルー」にもその「熱」が十分込められた熱い楽曲に仕上がっています。

1978年の懐かしい映像「ブルースカイブルー」

1978年西城秀樹が23歳の頃の映像をみると、現代の20代の若者に比べて随分大人びた容姿だと感じるのは筆者だけでしょうか?

長身で、エネルギッシュでワイルドな出で立ちの彼の様な若者から言い寄られたら、年上の彼女はフラっとしてしまうのも理解できるような気がします。

当時の西城秀樹ファンはきっと同年代が多かったと思いますが、この1曲でファンの年齢層を大きく伸ばしたに違いありません。

最後に

昭和の日本のポップミュージックを引っ張ってきた大物歌手がまた一人逝ってしまいました。

昭和生まれの筆者としては、こうして時代が移り変わり素晴らしいアーティストたちが人の記憶から薄れていくことが悲しくて仕方ありません。

最近の音楽業界の風潮で、カバー曲をリリースするアーティストが増えているようです。

素晴らしい楽曲と言うのは、時代を超えて受け継がれるものだと筆者は信じていますので、西城秀樹の数々の楽曲にもまた脚光を浴びる日が来てほしいと願うばかりです。

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