本物の愛とは...?

宇多田ヒカル「Show Me Love (Not A Dream)」の意味とは?歌詞を独自解釈!の画像

仄暗さと底知れない強さを感じられる宇多田ヒカル『Show Me Love (Not A Dream)』。

人を愛するという行為は、時に自分を追い込み、心に大きな不安を与えます。

綺麗事だけで片付けられないのが、愛の厄介なところであり、奥深いところです。

求めれば求めるほど、迷い込んでいく。

本物の愛とはいったい何なのか?

考えるほど謎は深まり、答えは永遠に出せそうにありません。

それでも人は愛することを求め、また愛されたいと願う生き物。

私たちは愛によって生かされているのか。それとも愛に縛られているのか。

どちらにせよ人として生まれた以上、愛という目に見ないものから逃れることはできないようです。

愛は常に苦しみを伴う

無償の愛は確かに美しいけれど、与えるばかりで少し寂しい……。

愛に見返りを求めるのは当然のことでしょう。

しかし見返りを求めれば、それはそれで満たされない想いに悩まされる。

この曲で歌われているのは、「苦しみを伴わない愛などない」ということなのかもしれません。

矛盾に疲れた

抑え込んだ其れは消えず
湖の底へゆっくりとまた沈んでく

二兎を追う者、一兎も得ず
矛盾に疲れて 少し心が重くなる

出典: Show Me Love (Not A Dream)/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

まずここで歌われている「其れ」とは何か?

沈むことはあっても、消えることはない。

ふとした瞬間にひっそりと姿を現すような、いつでもすぐそばにいる「其れ」。

「其れ」は”嫉妬”なのではないでしょうか?

愛と憎しみは表裏一体。

愛されたいと願えば、それは独占欲に繋がり、嫉妬や僻(ひが)みを生みます。

気づかない振りはできても、そういった負の感情が消えてなくなることはありません。

常に心の片隅に存在し続ける。

愛を求めるほど愛から離れていってしまうようです。

そんな矛盾にこの曲の主人公は精神的疲労を感じているのでしょう。

逃げるのも向き合うのも怖い

逃げたら余計怖くなるだけって
(Inside my lavender dreams)
分かってはいるつもり

出典: Show Me Love (Not A Dream)/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

愛が大きくなるほど、嫉妬や僻みなどの負の感情は大きくなっていきます。

いくら目を背けたところで、それらから逃げることはできない。

そう分かっていても、主人公は向き合うことができずにいるのでしょう。

欲にまみれた自分を直視するのが怖い。

しかしこのまま逃げ続ければ、どんどん醜い生き物に変わっていくような気がする。

逃げることも向き合うこともできないまま、主人公は1人立ち止まってしまったようです。

自問自答を繰り返す

愛するが故に不安になって、愛するが故に弱くなる。

それもまた愛というものが持つ1つの側面です。

愛するという行為は、人と繋がる行為であると同時に、自分自身と向き合う行為でもあるのでしょう。

自問自答を繰り返し、愛は少しずつ形を変えていく。

目に見えないからこそ、愛には悩まされることも多いですね。

真実の愛は夢じゃない

心配しなくてもいつかきっと、なんて言えない
自信の無さに甘えてちゃ見えぬ
私の内なるパッセージ Show me love
内なるパッセージ Baby show me love
It’s all in my head Can you show me love
It’s all in my head Not a dream

出典: Show Me Love (Not A Dream)/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル

愛し続けていれば、いつかは自分も愛されるようになる。

主人公はそんなふうに思える性格ではないようです。

こんなにも愛に悩まされるのは、主人公の消極的な性格も原因の1つなのでしょう。

愛の形というのは、人それぞれの人生観や価値観によって左右されるものなのかもしれません。

そしてそれは、恐らく主人公も思っていること。

自分自身を愛せない限り、誰からも愛されることはない。

だから人は、本当の自分と向き合う必要があります。

「内なるパッセージ」に耳を澄ませて、偽らない想いを自覚しよう。

主人公が見せてほしいのは、そんな本当の自分を受け入れてくれる真実の愛です。

今は自分の頭のなかにしかない愛も、いつかは現実になるはず。

だから「Not a dream」と歌っているのではないでしょうか?

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