若いながらも生きた日々
ひとつずつ少しずつほら
確かに足跡を残してる
その全てがひとつの
道となり今となる
出典: independent/作詞:ayumi hamasaki 作曲:CREA + D・A・I
とにかくふたりには目に見えるような実績というものが欠けていました。
長年連れ添った夫婦でもなく、愛を育み始めた若いカップルです。
それでも若いカップルなりの信頼関係は存在します。
少ない期間ですがそれでも日々生きてきた証を残してゆくのが人生です。
僕はそこに希望を見出します。
辛いこともある毎日だけれど何とか今日も乗り越えることができたという思いが自信になるのです。
若い頃は不安と過信が交錯している不思議な状態が続きます。
特に社会に出たことがない頃は自分の力を過信している場合が多いです。
しかし若い人を悩ませるものは不安の方が大きいような気がします。
社会のルールが理不尽に思えたりするのもこの頃でしょう。
どうやって社会と折り合って生きてゆくかということに不安が残ります。
アンチ・ヒーローのヒーロー
それでも若いなりに自分の道を歩んでいるということに自信の根拠を求めてふたりは生きます。
ふたりは特別な存在ではなく、ただ地道に生きているだけなのですが積み重ねは骨になるでしょう。
浜崎あゆみはこの曲の主人公をどこにでもいるカップルに求めました。
もはやスーパーマンの神話が尊ばれる時代ではないのです。
アンチ・ヒーローの時代のヒーロー像がここにあります。
そしてタイトルの「independent」という意味がそろそろ浮き彫りになるのです。
「independent」は「dependent」つまり「依存」という言葉に「in」という否定の文句をつけました。
依存しないこと、つまり独立していることを指します。
人間は根源的には相互依存しながら社会を築いて生きてゆく動物です。
つまり人間にとって自然なのは「dependent」の状態なのでしょう。
「independent」の方が後から生まれた言葉であることがそのことを指し示しています。
僕は日々少しずつ自分の道を歩んでゆくことで「dependent」からの脱却を図るのです。
浜崎あゆみは人が成長する普遍的な姿は「dependent」ではなく「independent」なのだと描きました。
僕のそばにはもちろん君がいてくれるので独立しているといっても孤立とは違います。
浜崎あゆみは「independent」という概念そのものの練り直しを狙っているのかもしれません。
ふたりで世界に対峙するその姿勢こそが「independent」であると宣言するのです。
大きなドラマではなく
浜崎あゆみの心の優しさに触れる
決していい事ばかり
なんかじゃないけれど
僕には君が必要みたいで
君にも僕が必要なら
そこに特に理由はいらないみたいね
悪くないかもね こんな毎日
出典: independent/作詞:ayumi hamasaki 作曲:CREA + D・A・I
若い頃の生活は順風満帆とはいえません。
学園でも職場でも若い繊細な心に社会の重圧は耐えられないでしょう。
そうした生活の中で少なくない人がメンタルのバランスを崩してゆきます。
絶対数は少ないですがそれでも10代の死因の第1位は自殺です。
自殺に至らなくても心を病む人は増えているよう。
若い人が心を病むということに気付いてあげられなくて状態が悪化するケースもあるでしょう。
浜崎あゆみはそこまで極端なケースは描きません。
それでも毎日が上手くいかないと感じる若者のために言葉を紡いでいます。
彼女の歌が支持される根拠はこうした気配りにあるのでしょう。
どこか頼りなく冴えないとさえ思わせる青少年が主人公。
無理をしないアンチ・ヒーローのヒーロー像。
彼らのために物語を歌いたいという浜崎あゆみの心の優しさに触れた気分です。
アンチ・ドラマチックとの相似性
ふたりが一緒にいることの積極的な理由は本人にも分からないようです。
どちらにとっても必要だから一緒にいようと歌います。
これこそ運命の出会いで永遠を誓い合うというようなラブバラードのような愛ではないです。
アンチ・ドラマチックという文化潮流が昔ありました。
だから些細なことから人間を描いてゆくことが大切だという表現上の作法です。
浜崎あゆみがこの潮流を意識したかどうかは定かではないでしょう。
それでも彼女がなしたことはアンチ・ドラマチックの手法と似ています。
本当に人間をよく観察していたらこの手法が正しいものだとして採用されたのでしょう。
ふたりは大きなドラマではなくささやかな思いをもとにして一緒に生きていきます。
歌の主人公としてはどこか頼りない印象もあるかもしれません。
しかしそうした特別な感じがない点こそ市井を生きる私たちにはむしろ馴染みのいいものです。
ドラマチックな誓いは一切せずに日々一緒にいるという理由だけでこれからの未来を切り拓きます。
私たちの身の丈にあったような歌詞になっているのでしょう。
「independent」という生き方
ぐっと顔上げて少し笑って
ちょっと空とか仰いだりして
走り疲れて歩いたりとかして
そんな感じで 準備はいいかい?
僕には君が必要みたいで
君にも僕が必要なら
そこに特に理由はいらないみたいね
悪くないかもね こんな毎日
出典: independent/作詞:ayumi hamasaki 作曲:CREA + D・A・I
いよいよクライマックスです。
歌詞はリフレインになっています。
繰り返しになりますが最後ですので改めて見てゆきましょう。
お互いの傷付きやすい感性をシェアできるふたりは無敵かもしれません。
ひとりで生きていける人はいないという意味で私たちの生は「dependent」です。
しかしふたりになることによって社会に対して「independent」な存在になれるという逆説を歌います。
傷付く君のためにはどこかのんびりしている僕がお似合いなのかもしれません。
ふたりの人格は一緒になることで完璧になってゆきます。
それは「dependent」の姿ではあるのですか、ふたり歩きができているのです。
ふたりによって成される「independent」を浜崎あゆみは描きました。
21世紀が始まったばかりの頃の歌です。
それでもこの先の世界を照らす歌としても十分新鮮な意味があるでしょう。
「independent」
傷付きやすさを抱えているのならば誰かと一緒になりましょう。
ふたりで補い合いながら生きてゆければ私たちは社会と対峙してゆけるはずです。
怖いものはシェアしましょう。
辛いこともシェアしてしまえばいいのです。
そして何よりも悦びをシェアしてゆく中で幸せを感じることができるでしょう。
そうして積み重ねた日々が自信になってゆくはずです。
このふたりは自分たちのことを最後まで愛好の相性だなんて歌いません。
あくまでも自分たちのリズムに合わせて感性を通じ合わせることが大事なのでしょう。
どこにでもいる若いカップルなのかもしれません。
しかし大袈裟なラブバラードの中の登場人物に共感を得ない人にとっては福音のように響くでしょう。
やっと等身大の歌に出会えたという思いにハッとさせられます。
浜崎あゆみがこの曲に込めた想いすべてを汲み尽くせたとは思いません。
しかし若さ固有の繊細な感性を紡ぎ出すことに心を砕きました。
リスナーはさらにどんな解釈を加えてゆくでしょうか楽しみになります。
いずれにせよ「independent」でないと押し潰されてしまう社会に負けないで生きたいです。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。