4thアルバム『スポーツ』に収録された一曲
『絶体絶命』の世界観
この曲は、椎名林檎さんが作詞、作曲を林檎さんとキーボードの伊澤一葉さんの共作でされています。
歌詞としては、悲しみが自らを覆い尽くしていく様子を描いたお話です。
この歌詞は全編を通してほとんど同じ文字数で構成されているのです。
最後の方は少し崩れますが、基本的に並べると端がぴったりと揃います。
本来耳で聴くべき音楽の歌詞に並ぶ文字の配列にまで表現のフィールドを広げているのです。
さすが東京事変。
そんな綺麗に整理された歌詞が描く世界は、タイトル通りのまさに絶体絶命状態。
なのに曲調は踊り出しそうなくらいにポップという相反する世界観が、人間の本質を表しています。
このポップな曲調がファンタジックな世界に見せていますね。
では、歌詞の世界に入っていきましょう!
わたしを襲う大きな『かなしみ』
為す術なく飲み込まれるしかない
かなしみが声を殺してわたしを待ち構えている
躙り寄る気配の主を知りながらも手に掛かって
余にも重く余にも硬く余にも暗く余にも冷たい
出典: 絶体絶命/作詞:椎名林檎 作曲:伊澤一葉 椎名林檎
一人称で『わたし』と表現していることから、主人公は女性と仮定します。
その彼女を襲う『かなしみ』とは一体ナニモノなのでしょうか。
迫り来る気配は感じているようですが、それでも事前に対処することができていません。
そうこうしている間に飲み込まれた『かなしみ』の中は、まるで深海のように暗い場所でした。
全く抵抗することもなく、声をあげることもなく、ただただ彼女を飲み込み続ける。
この時点ではそれの正体を判断することはできません。
繰り返すメロディが紡ぐ絶望感
かなしみが顔を隠してわたしを抱き抱えている
伸し掛るその恐ろしさ知りながら儘と捕まって
余にも低く余にも永く余にも深く余にも大きい
出典: 絶体絶命/作詞:椎名林檎 作曲:伊澤一葉 椎名林檎
『儘と〜』と表現していることから、恐ろしく暗いその場所で何の抵抗もしていないことがわかります。
無抵抗な状態で身を委ねてしまっているのです。
本来何かに襲われたら抵抗するはずです。
しかしそれを全くせずに流れに任せる行動は、一体どういう心理からくるものなのでしょうか。
その理由を解説します。
彼女は今、恐怖心に満たされているはずです。
それなのに、『かなしみ』が持つ底なしに深い懐に抱かれている状況に、逆に満足感を感じているのです。
すなわち、絶望の淵で悲劇のヒロインを演じられる状況を心地よいと思っているということですね。
過去を憎み、後悔し、自責の念で自分自身を追い込み続けることは決して楽しいことではありません。
しかし今の彼女にとって、それが一番自分自身の存在や判断を肯定することになっているのです。
自分を追い込み、追い詰め、内側から痛みを感じることで生きていることを実感する。
追い込む原因が過去にあるなら、痛みによってその過去にしっかりと自分が生きていたという証明になる。
痛みによって生を感じ、また、かわいそうな自分を客観的に慰めることでまた悦に浸る。
最悪の連鎖が繰り返されている状況です。
さらなる追い打ちに抵抗することもできず
為すがままに
静寂が嘯く「騒いだ所で出される答は同じ」と
教えてよ頭のうちでは言葉がなにより正しいと
出典: 絶体絶命/作詞:椎名林檎 作曲:伊澤一葉 椎名林檎
最悪の連鎖が続く中で、さらに追い打ちをかけるかのように囁かれる、上記1行目の言葉。
これは彼女を飲み込んだ『かなしみ』が発した言葉です。
要するにその正体は彼女自身なのですが、その自問自答や葛藤がこの曲のメインテーマになります。
ここで伝えようとしているのは、今更何を考えても何も変えられないから全て無駄であるという絶望感です。
いくらごもっともな理由を引っ付けても、それらは言い訳でしかなく、何の解決にもならない。
だから考えるだけ無駄だと、初めから諦めてしまっている状況です。
もはや、襲いくる『かなしみ』に対して抵抗する気が全くないことを示唆していますね。
自分でも周りからも全く救いがない状態。
まさに絶体絶命そのものです。
彼女は『かなしみ』の為すがままになってしまっています。