改めて話しをかける機会がなかったお母さん。
”柔らかな日だまりが包む”という表現。
ここからは既に亡くなっているお母さんに、優しく暖かい光があたっているイメージができます。
そんなお母さんに主人公はポツリと話しかけながら感情に浸る姿がうつります。
得てして多くの場合、親はいつか自分より先に死んでしまいます。
その別れは避けられないものであることはわかっているのに、これからもずっと一緒にいられる。
そう当たり前のように、誰しもが思い込んでいるのではないでしょうか。
いつかお別れをしなければいけない日がくるのはわかっていました。
けれどお母さんの涙に気づいてあげられなかった自分を、悔やんでいるような様子がうかがえます。
「きっと」というフレーズを繰り返していることで、母の死を悔やむ気持ちが強く感じられました。
か弱くも確かに力強い蕾のような存在
消えそうに 咲きそうな 蕾が 今年も僕を待ってる
掌じゃ 掴めない 風に踊る花びら
立ち止まる肩にヒラリ
上手に乗せて 笑って見せた あなたを思い出す 一人
出典: http://j-lyric.net/artist/a000656/l009da3.html
”消えそうに咲きそうな蕾”というフレーズを亡き母に重ねて歌われています。
「蕾」のことを、弱々しく見える一面がありながらも、たくましく咲く可能性を秘めているもの。
この言葉の解釈としては、そういったことを表現しているのだと思います。
大きく咲く大輪の花に比べれば、確かに蕾は小さく弱々しい存在。
けれどその花の蕾はいつか来る大きな花を咲かせる日まで、雨の日も風の日も寒い日も。
ずっとずっと耐え忍びながら、とてもたくましく生きているのです。
鮮やかな花がちゃんと咲いてくれるように、たくましくも優しく、そして美しく生きている姿。
それはまるで、幸せに生きる我が子を支える母親の姿にとてもよく似ているのかもしれません。
”掌じゃ掴めない風に踊る花びら…”からは、亡くなっているお母さんにはもう触れることができない。
それを悲しく感じている自分の肩に、そっと手をのせて笑顔をみせてくれるお母さん。
そんなふうに大事な人の在りし姿のことを思い出している様子が歌われています。
たとえ命がこの世から消え去り、もう二度と会えなくなってしまったとしても。
お母さんはもしかしたら、いつまでもずっとあなたのことを。
そっと近くで見守ってくれているのかもしれませんね。
夢に向かって走る自分の背中を押してくれた母
強く信じた夢はどんな場所でも咲き誇る
ビルの谷間に 埋もれた夢を いつか芽吹いて
花を咲かすだろう 信じた夢は 咲く場所を選ばない
出典: http://j-lyric.net/artist/a000656/l009da3.html
野生の花は咲く場所を選びまないと言われていますよね。
土があってそこに根っこがあれば、いつか芽を出し花を咲かす。それを夢に例えて表現してます。
たまにニュースなどで、こんな話を耳にすることがありませんか?
野に咲く花が、固いコンクリートの地面を割って芽を出し、綺麗な花を咲かせました。
もちろん全ての野生の花が、そこまで強い生命力を持っているわけではありません。
ですが中にはそれほどまでに強い生命力を持って、生きたいという強い意志を確かに私たちに感じさせてくれるような。
そんな人々の心を動かすほどの、野に咲く花も存在しているのです。
人の夢もこれと同じ。
ビルの谷間に埋もれた夢であろうと、まっすぐに進み続ければいつかその夢は叶う。
信じていれば、たとえどんなで状況あろうといつか夢は叶うのかもしれません。
それは土の中から芽吹いた花が、コンクリートの上で咲くのと同じように。
光に向かって手を伸ばしながら歩こう
僕等この街に落とされた影法師 みんな 光を探して
重なり合う時の流れも
きっと きっと きっと 追い越せる日が来るさ
出典: http://j-lyric.net/artist/a000656/l009da3.html
”落とされた影法師”というのは、花で例えると「ばらまかれた種」として捉えることができます。
種が花を咲かせるまでにいろんな苦労を重ねていく様子ですね。
今日もたくさんの人々が、それぞれの夢を追いかけて毎日努力を続けています。
ミュージシャンになりたい、スポーツ選手になりたい、俳優になりたい、お笑い芸人になりたい。
みな自分の人生を照らしてくれる光のような夢や目標。
それに向かって必死に背を伸ばし、いつかこの手に掴もうと腕を伸ばしているのです。
しかしもちろん、努力しているのは自分だけではありませんから。
いつか夢を叶える為には自分と同じように、あるいは自分以上に。
努力をしている他の人々も、追い越していかなければならないのです。
共に切磋琢磨しながら、追いつけ追い越せの様相でみな夢に向かって競い合っているのです。
重なり合う時の流れの中、たくさんの苦労をしながらも。
そうやって日々努力をしていれば、いつかどこかでその苦労が報われる。
きっとその夢を叶える日がくる、といっているようにも感じられます。
当たり前だと思っていた大切な存在を亡くして
風のない 線路道 五月の美空は 青く寂しく
動かない ちぎれ雲 いつまでも浮かべてた
どこにも もう戻れない
僕のようだと ささやく風に キラリ舞い落ちてく 涙
出典: http://j-lyric.net/artist/a000656/l009da3.html
”風のない線路道”というのは「風が吹かない線路沿いの道」という意味ですね。
想像してみると、このフレーズのように青い空が綺麗に見える光景がうつります。
しかしここでは”五月の美空”を晴れ晴れとしていて綺麗な空と感じる様子はありません。
むしろその反対の、”青く寂しく”と表現されています。
主人公が空を青く寂しく感じた理由。
それはもしかしたら、5月がお母さんの命日だったからなのではないでしょうか。
風のない空に存在する雲は動くことがありません。
しかし雲が落ちてくることはなくプカプカと浮かんでいますよね。
その光景を「お母さんを失った自分」に例えて歌われているように感じられます。
ひたむきに夢を追い掛けながら走り続ける自分を、頑張れ、と常に応援してくれ、背中をおしてくれたお母さん。
その姿は、もうこの世にはありません。
自分を常に応援してくれるその存在を、どこか当たり前のように思っていました。
ですがその存在は、決して当たり前のものではなかったのです。
失って初めて母の偉大さや優しさ、その存在がどれだけ自分の力になっていたことか。
そういった大事なことに、気付かされたのではないでしょうか。