遠く見えた空は澄んでいて 泡沫の日々に迷わんとした
揺るぎないこの胸の真ん中の想いを託して 想いを信じて
僕はただ明日を見て歩こう たとえそこに願い届かずとも
変わらないあの日の言葉だけを この手に抱えて この手に抱えて
出典: ハジマリノウタ~遠い空澄んで~/作詞:山下穂尊 作曲:山下穂尊
壮大なサビになります。
サブ・タイトルの「遠い空澄んで」の意味をここで回収するのです。
「うたかたの日々」という言葉はボリス・ヴィアンの刹那な青春小説のタイトルからでしょうか。
この曲「ハジマリノウタ~遠い空澄んで~」と小説「うたかたの日々」はともに青春の風景を描きます。
日々の泡の中でも確固とした想いを携えて生きてきたことが歌われるのです。
どこまでも未来志向な語り手の僕の姿勢が凛々しく映るでしょう。
僕が胸に抱いているのは君から贈られた言葉だけです。
君以外からの価値観はすべてセルフ・メイドで生きることを誓っています。
君がくれた安心感とは
生きる上での価値観をどこに依拠するのかは人それぞれでしょう。
でもできるだけ自前の価値観で生きられたなら、はっきりと自分の人生を生きているといえるはず。
一方でこの「ハジマリノウタ~遠い空澄んで~」に登場する君のように思いがけないヒントをくれる人もいる。
いただいたヒントが胸に響く者であったのならば素直に共感して自分のものにするくらいの心が必要でしょう。
私たち人間存在はひとりでは生きていけないもの。
予め社会的な関わりの中に産み落とされて生涯を全うします。
他者から学ばない限り人は一人前にはなれません。
「ハジマリノウタ~遠い空澄んで~」では君とのやり取りの中で覚醒める僕の姿が印象的です。
他者の考えであっても柔軟に自分のものにできる人は基本的に豊かな素質があるもの。
こうした恵まれた素質や環境が手伝って僕の人生を自分のものにすることができるのです。
他者との交流こそが自分らしさに気付くきっかけになることはどこか弁証法的な真実なのでしょう。
君が僕にくれたものはいい意味で気楽に生きてゆけるための大事なヒントです。
この君の言葉のおかげで僕の人生は大幅に好転しだすのでした。
暗闇に火を灯せ
弱さをシェアして生きよう
君とね 出逢ったことが見えなくなった場所を示してくれた
そうして解り合えたよ 僕も君も同じ弱さを持ってる
どうしてなんだ?みんな抱えてる怖さや不安を隠したりして
「強くない」ってそう言い切ったら 暗く濁った闇に灯り灯る
出典: ハジマリノウタ~遠い空澄んで~/作詞:山下穂尊 作曲:山下穂尊
人生を強がりながら歩くことは無理があります。
元々、ひとりの人間はそんなに強くできていません。
どんな偉人であっても誰かの助力なしに偉業を成し遂げた人はいないでしょう。
暗闇のような迷路に遭遇した際には臆病な気持ちでいることが功を奏すこともあります。
人間の臆病さは繊細な心の機微が働いて状況を上手く乗り越える力をもたらせてくれるのです。
語り手の僕は弱さをシェアする暮らしの中で君と本当に分かりあえました。
このことは僕や君との関係だけではなく、すべての人にとって大切なことではないかと価値を問います。
強靭さこそが尊ばれる世界で山下穂尊は臆病さこそ大事だと価値転倒させるのです。
こうした価値転倒の試みはリスナーの意識を拡張させます。
人生で虚勢を張って生きるよりも、臆病ながらも着実に生きたらどうだろうと問うのです。
ありえない強靭さに大きな価値を見出すために無理をする社会は不幸でしょう。
自分の弱さを認めたときに暗闇に火が灯るよと山下穂尊は教えてくれます。
ポップ・ソングは人々の生活の疲れを癒やすことで価値を増すのです。
いきものがかりの総意として無理するなよという言葉を投げかけてくれること。
彼らが広く支持される理由がここにあります。
求導師のような人生
大空の広い空間に投げた言葉
伝えたいことが溢れてきて あの空の向こうへ流れてゆく
ぎこちない言葉でしかないけど 今伝えたくて 今届けたくて
連綿とゆく時間の中で 僕は確かにここで呼吸(いき)をする
柔らかい陽の光を浴びれば また目を覚まして また歩き出せる
出典: ハジマリノウタ~遠い空澄んで~/作詞:山下穂尊 作曲:山下穂尊
いきものがかりの山下穂尊としての所信表明のように響くラインです。
彼はドラマを紡ぎたかったのか、こうした決意の表れをきちんとしたかったのか。
答えは両者の中間にあるような気がします。
空というモチーフに託した様々な想い。
大空はそんな人々のたくさんの想いを詰め込んでもまだまだスペースが残る巨大な空間でしょう。
比べてみてひとりの人間の小ささも同時に感じずにはいられません。
空がそれだけ広い懐を持つものであるからこそ僕はそこに言葉を投げかけたくなるのです。
まだまだ青春の途上・「夢の途中」ですから決まった言葉ではないでしょう。
形も歪な言葉であっても今の想いを託したい。
誰かがその言葉を拾ってくれるだろうという確信が僕にはあります。
それはとても恵まれたことなのかもしれません。
「ハジマリノウタ~遠い空澄んで~」は空という空間だけではなく時間軸にも問いかけます。
悠久の歴史と時間の中で生きていることを呼吸の回数で把握するのです。
空間と時間については考えれば考えるほどに分からなくなるものでしょう。
しかし呼吸という生命活動が自然と身体に伝えてくれることがあります。
僕は生きているということの再認識です。
山下穂尊の歌詞は光への訴えかけもまた多い傾向があります。
太陽の陽射しを特に大事なエレメントとして歌詞を紡ぐのです。
「マイサンシャインストーリー」などがその顕著な例でしょう。
太陽の陽射しを得て、求導師のように光の中を歩んでゆく描写が多いのです。
この「ハジマリノウタ~遠い空澄んで~」の僕もどこか求導師の面影があります。
「ハジマリノウタ~遠い空澄んで~」の哲学
実存主義のような本来の人生への問いかけ
僕が生きた「証」を残そう それをいつの日か「夢」と名付けよう
つつましくも意味の在る「証」を 意味在る「夢」だと 確かな「夢」だと
僕は「今」を信じて歩こう たとえそこに祈り叶わずとも
生まれゆく全ての言葉たちを この手に抱えて この手に抱えて
出典: ハジマリノウタ~遠い空澄んで~/作詞:山下穂尊 作曲:山下穂尊
もうクライマックスです。
最後にひと花咲くのはまるで実存主義のような深い人間哲学。
かつて生きる証明のようなものを実存という言葉に求めた大戦後間もない青年たちのようです。
人は生きていることの証明をこの世界に遺そうとします。
自分の生きた証明を遺せないことは、人生が空っぽであったということを知るような想いになるのです。
僕が生きた証明は後の人生において振り返ると「夢の途中」の出来事ばかりだと気付かされるはずでしょう。
ここで「証」が「夢」と名付けられるのはそうしたからくりがあるからです。
どんな微小な存在でもこの世に生まれたからには痕跡を遺します。
ましてやそれが意志を持った人による痕跡であるならば、より大きく深い意味さえ持てるでしょう。
僕は自分の遺した痕跡が生きた甲斐のある「夢」であったと確信できる地点に到達したいと願います。
そのために大切なのは「今」を生きることです。
なぜなら永遠というものは「今」の連続であるから。
山下穂尊はいきものがかりで作詞をした言葉たちを吉岡聖恵に託します。
メンバーとはいえ他者に歌わせるのですが、あくまでも自分の言葉の所在にこだわり抜くのです。
自分の言葉はすべて僕の手に抱えている。
生きて様々な想いを言葉に変える私たち人間。
その言葉の所有権は自分に帰属するものと歌ってこの歌は終わります。
こうした想いを持てたのも元をたどれば君の言葉のお陰でした。
しかしクライマックスの歌詞で君の存在は裏面に隠れています。
お「陰」様という裏面に隠れた君という存在によって勇気付けられた僕も独り立ちして言葉を発するのです。
「ハジマリノウタ~遠い空澄んで~」は僕の成長を一曲の歌詞で描ききってみせました。
いきものがかりにとってこの楽曲が特別な存在である理由の一端を垣間見た瞬間です。
「ハジマリノウタ~遠い空澄んで~」
君の存在によってどんどん強くなった僕の決意表明。
アルバムの幕開けにこれほど相応しい楽曲は他になかったのでしょう。
誰かのヒントや助力によって開眼する想い。
いきものがかりの魅力と実力。
人生とは何であるかを丹念に描かれたこの曲をいつまでも愛したいものです。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。