ACIDMANの「赤橙」とは?
ACIDMANの「赤橙」(せきとう)は、2000年11月24日にインディーズシングルが発売された後、
メジャーデビューに際して2002年10月9日に3枚目のシングルとして発売された楽曲です。
この曲は全国ラジオ局でヘビーローテーションされたこともあり、オリコンシングルチャート20位圏内に初めてランクインしました。
ACIDMANの知名度を上げた代表曲の一曲です。
タイトル「赤橙」の意味は?
「赤橙」はミステリアスな歌詞からも話題となり、様々な憶測が飛び交いましたが、賽の河原を暗喩しているという意見が一番多いようです。
賽の河原とは、十歳にもなることができずに亡くなってしまった子供が冥土にあるという賽の河原で
父母の供養のために小石を積んで塔を造ろうとするが、地獄の鬼が現れて、
いくら積んでも鉄棒で崩してしまうため、この世の親を慕って恋い焦がれ続けて成仏できないという言い伝えです。
転じて何回やっても同じ、際限のない無駄な努力の例えとしても使われます。
「赤橙」(せきとう)というタイトルには石を積み上げて作った石塔(せきとう)という意味もあるのではないかということですね。
また、「赤い煉瓦」、「オレンジ色の砂」、「黄金色光る夕暮れ」と「赤橙」という色を連想させる単語もたくさん出てきますが、
ACIDMANの歌詞の世界において、この色が意味するものは、日が沈む色=人生の終わりを象徴する色のようです。
2000年初出となるACIDMAN初期の楽曲「赤橙」に対して、「愛を両手に」は2017年の楽曲ですが、この曲にこんな歌詞が出てきます。
「赤橙」は陽が落ちて地へと還っていく色、そして、人間もいつか還っていく
遠くの空へ赤き陽が落ちていくよ
僕らもやがてあの場所へ帰るのだろう
出典: https://twitter.com/pondaring/status/879351803862700032
太陽が昇って1日が始まり、沈んで1日が終わり、そして、また日は昇り...と繰り返す様子を、
人間が生まれ、いつかは死んで、また新しい生が誕生するという人の世に重ねているのですね。
この「愛を両手に」も大切な人を失い、自分も最期には、大切な人と同じように地に還っていくと自覚しながらも、
悲しみとその人からもらった愛を抱えて必死に生きて行こうとする人間の姿が描かれています。
「愛を両手に」は大切な人に先立たれてしまった心情が描かれていましたが、
「赤橙」でも賽の河原のように大切な人を思い続けて、報われるかもわからないような思いを石塔のように積み上げていく心情が描かれているとしたら、
夕焼けの色と、その死生観でリンクする気がしますね。
では、この考え方も踏まえつつ「赤橙」の歌詞を引用し、解釈していきましょう。
ACIDMAN「赤橙」の歌詞解釈!
埃にまみれた凧のように生きている自分、まるで生と死の間を彷徨っているよう
眠りの浅い朝の回路 埃にまみれてるカイト
フワフワの音が眠ってる
そこはかとなく日々は続き
左利きの犬がまさに 片足引きずり笑ってる
太陽と空の間 静かに開いた世界に
憧れてしまったんだろうか
出典: https://www.youtube.com/watch?v=EXYTyVR1Eac
「眠りの浅い朝」のぼんやりとした思考「回路」や、空を飛ばなくなって長い、「埃にまみれてる」小さい頃の思い出が「眠ってる」「カイト」のように、
ただ「フワフワ」と漂うように、「そこはかとなく日々」が続いていく様子が描かれる歌い出し。
つまり、体は生きているのに、心は死んでいるような、生気を失って生きる宙に浮いたような自分の日々を表しているのでしょう。
そんな自分には、「左利きの犬がまさに 片足引きずり笑ってる」のが見える、つまり、冥土に渡る途中にあると信じられている賽の河原のように、
死の世界に片足を突っ込んでいる人の姿が見えるようだと言っているのではないでしょうか。
「煉瓦」や、「地球の裏側」など、いろんな景色の交わる楽曲なので、仏教から離れるなら、
ゲーテの「ファウスト」で悪魔メフィストフェレスが犬に変じて姿を見せますが、犬を悪魔の象徴として扱う物語や文化もありますね。
「笑ってる」という表現から、やはり死神などと繋がりそうな少し不気味なイメージで、
中途半端な日々を過ごす自分の罪悪感が作り出した空想なのかもしれません。
これらのイメージから、「太陽と空の間 静かに開いた世界」とは、 そのまま意味を取ると太陽には届かない「カイト」が飛ぶような低い空のことですが、
それに重ねて、生と死の狭間の中途の世界を表現しているのでしょう。
そんな世界に自分は「憧れてしまったんだろうか」と一人考える姿が描かれる歌詞です。
「オレンジ色の砂」の意味は?
赤い煉瓦をそっと積み上げて
遠き日の魔法をかけてみる
丸い地球の裏側なら これで行ける
そして少年は一握りの
オレンジ色の砂を蒔いた
黄金色に輝く音を いつか奏でよう
出典: https://www.youtube.com/watch?v=EXYTyVR1Eac
石塔のように積み上げた「赤い煉瓦」にかけたのは、子供の頃に夢見たような「遠き日の魔法」です。
あの世にいる死んでしまった人には二度と会えなくても、地面と海で続いている「丸い地球の裏側なら」本当は行くことができるのに、
魔法を信じていた子供の頃のようにはそんな当たり前のことが自分の状況などからそうは思えなくなりますよね。
「少年は一握りのオレンジ色の砂を蒔いた」という歌詞は、大海の一滴や賽の河原のように、こんなことじゃ世界は変わらないとわかっていても、
死を思わせる「赤橙」色の砂つぶを世界に蒔くことで少しでも多くの人に、人はいつか死んでしまう、だから大切な人を大切にしてほしいというメッセージではないでしょうか。