【エンデヴァー】が運命に翻弄される拳奴たちの闘いを描き出す!

古代ローマ時代、闘うことでしか生きられないという、数奇な運命に翻弄される人々がいました。

彼らは拳奴(けんど)と呼ばれる奴隷の戦士で、闘うことが人生そのものになっていたのです。

「セスタス-The Roman Fighter-」は、そんな拳奴の少年セスタスを主人公にした物語です。

同作は原作漫画を下敷きにした話題のTVアニメで、2021年春に放送されました。

同TVアニメのOPテーマが、今回ご紹介するDragon Ashの【エンデヴァー】というわけです。

原作の世界観から着想を得て書き下ろされた楽曲は、前作から1年半以上ぶりの新曲でもあります。

注目の若手イラストレーターJOHANNとコラボした、センスのいいMVもYouTubeにて公開されています。

曲自体もMVも注目度の高い【エンデヴァー】が表現する、運命に翻弄される少年たちの世界を覗いてみましょう。

彼らの人生に確かなものはない

Dragon Ash【エンデヴァー】歌詞の意味を考察!僕らの世界とは?疑いの無い衝動が秘める力に迫るの画像

古代ローマにおけるコロッセオでの闘いは、娯楽として行われてきた歴史があります。

民衆や貴族のため、奴隷たちはまさしく命を懸けて闘うことを運命づけられていたのです。

今日勝っても、明日負けないという保証などどこにもありません。

彼らは心を擦り減らすようにしてしか、生きていくことができなかったのです。

拳奴の進む道に確証などない

逆境 葛藤 雑踏の直中で
渇望 確証のない世界をゆけ

出典: エンデヴァー/作詞:kj 作曲:Dragon Ash

コロッセオでの闘いでは、常に負のオーラがまとわりつくものです。

感覚の麻痺した民衆や貴族は、人の生死さえ娯楽として楽しむようになっていました。

拳奴のセスタスは心の優しい少年としても描かれており、それゆえに闘うことへの葛藤もあったでしょう。

信じられるのは自分の拳だけで、力が物をいう世界です。

負ければそこに待つのは死だけという何の確証もない毎日は、想像を絶する過酷さだったことでしょう。

悲しいことにそんな星の元に生まれたセスタスたちは、それでも闘いを止めることはできないのです。

何があっても前に進む

見渡せないなら 手探りでいい
この森をほら くぐり抜け
降り止まないなら 濡れたままでいい
ぬかるみを今 進みゆけ

時にきっと単純なんだ
それでも挑むかどうかだろ

出典: エンデヴァー/作詞:kj 作曲:Dragon Ash

確かなものが何もなかったとしても、生きるためには前に進むしかありません。

先の見えない不安な毎日はさながら、樹々が生い茂るうっそうとした森のようではないでしょうか。

そんな中であっても、手探りでも進まなくてはならないのです。

降り続く雨の中でも、足を止めることは許されません。

濡れっぱなしで、ズブズブと足をすくうぬかるみの中へも歩みゆかなくてはならないでしょう。

不確かさの中を進むことは、ある意味では単純なのかもしれません。

何があっても進むことを止めないと思えば、その行為は決して複雑ではないはずです。

困難があったとしても、ただ立ち向かえばいいのです。

その結果がどのようなものになるかなど、考えてはいられないのでしょう。

それこそが、拳奴たちのごく単純な生き方なのだと思います。

自由を渇望する気持ちを力に

Dragon Ash【エンデヴァー】歌詞の意味を考察!僕らの世界とは?疑いの無い衝動が秘める力に迫るの画像

たった一つだけ疑いの無い衝動
僕や君をきっと 突き動かしてるよ
ただ一つ紛れもない今日を
僕らは向き合って 生きようと願う様に足掻け

どんなに擦り切れたって抱きかかえるんだ

出典: エンデヴァー/作詞:kj 作曲:Dragon Ash

悲しい運命を背負わされた拳奴たちにも、疑うことのないものが存在するようです。

引用歌詞1行目にあるその「衝動」とは、一体何を指すのでしょうか。

揺るぎない衝動が足を前に進ませる

【エンデヴァー】の歌詞を見ると、セスタスら拳奴には、何か揺るぎない衝動があることが分かります。

そしてそれが、彼らを前へと進める原動力にもなっているようです。

歌詞の1行目でいわれるその「衝動」とはおそらく、「生きる」ということではないでしょうか。

もっといえば、「生きて本当の自由を得ること」なのかもしれません。

生き物は本能的に生きようとしているものであり、それが衝動のような形になることもあるのでしょう。

そして生きようとする力は時に、その人自身さえ思いもよらないを生み出すこともあります。

もしかしたら拳奴たちは無意識に、そんな力を糧に日々を過ごしていたのかもしれません。

生きようとする力が途方もない可能性を秘めていることを、このパートが示唆しているような気もします。

今日という日を大切に生きる