アルバム『テキーラ・ムーン』
「月のあかり」が収録された名盤
桑名正博のソロ3枚目のアルバム『テキーラ・ムーン』。
オープニングの軽快な「オン・ザ・ハイウェイ」からラストの「しらけちまうぜ」まで、名曲揃いの名盤でした。
その中でも彼の代表作のひとつになったのが、2曲目に収録された「月のあかり」なのです。
元々彼がいたファニー・カンパニーは、矢沢永吉のキャロルと同じ時期に活動していたロックバンドです。
地元関西では人気があったのですが、全国区の人気を得る前に解散してしまいました。
その後ソロになって、筒美京平と松本隆のコンビによる作品「哀愁トゥナイト」がヒット。
さらに「セクシャルバイオレットNo.1」の大ヒットで、全国的にその名が知られるようになりました。
しかしファニカン時代から彼を知るファンにとっては、嬉しいと同時に違和感もあったのではないでしょうか。
歌謡ロックとも呼ばれるその路線でヒットはしたものの、以前の桑名正博とは違っていたからです。
好きだった“マサヤン”が、どこか違う所へ行ってしまった。
そんな気がした人も、たくさんいたのだろうと思います。
「月のあかり」はブレイクする前の桑名正博が、静かな情熱を込めて歌う隠れた名曲と言ってもいいでしょう。
その歌詞にはどんな意味が込められているのか、考えてみたいと思います。
月明かりに浮かぶ彼女の姿
別れを告げてから部屋を出ていくまで
灯りをつけるな 月の光が
やさしく お前をてらしているから
ふり向くな この俺を
涙ぐんでいるから
出典: 月のあかり/作詞:下田逸郎 作曲:桑名正博
夜空に光る月が満月では明るすぎるし、三日月では少し暗すぎる。
ちょうどいい具合の、十三夜くらいがこの曲に似合うような気がします。
部屋が暗いのは、二人が別れの時を迎えているからです。
月明かりに浮かぶ彼女の姿の描写からは、ギクシャクした喧嘩別れなどではないのだろうと想像がつきます。
少なくとも情緒のある空間がそこにはあって、黙っている二人の心には様々な想いが込み上げているのでしょう。
ここは主人公が彼女に言葉を掛けたあとの場面なのだろうと思います。
彼女に別れを告げた男が部屋を出ていくまでの、ほんの短い時間がこの曲で描かれているのです。
最後の行の歌詞で、彼が優しく繊細な男なのだと分かります。
もしここで彼女が電灯のスイッチに触れたなら、雰囲気も台無しです。
だけど彼が好きになるような女性なら、きっとそんなことはしないでしょう。
悲しい言い訳
言い訳が並んだ歌詞?
長い旅になりそうだし
さよならとは違うし
この街から 出てゆくだけだよ
出典: 月のあかり/作詞:下田逸郎 作曲:桑名正博
“長い旅”とは何なのでしょうか。
彼がミュージシャンだとしたら、成功につながりそうな初めてのツアーなのかもしれません。
そうでなければ、何か大切な仕事があるのでしょうか。
愛する女性をひとりにしてでも行かなくてはならない理由とは何なのでしょう。
もしかしたら、出ていく原因は彼自身の性格にあるのかもしれません。
色々なことが想像できますが、ドライな別れにできないのは繊細なところと優しさがあるからだと思います。
一行目の歌詞は、しばらく会えないかもしれないという言い訳。
二行目は、本当は別れたくないんだという言い訳。
最後の行は、彼女だけではなく自分にも言い聞かせるような悲しい言い訳です。
繊細さや優しさと背中合わせの、どこか優柔不断なところも見えるような気がします。
下田逸郎の繊細な表現
主人公を癒やしてくれたのは?
お前のしぐさの ひとつひとつが
どれだけこの俺 救ってくれたか
うまくは言えないよ
胸がつまっているから
出典: 月のあかり/作詞:下田逸郎 作曲:桑名正博
いよいよ部屋を出ていく時になって、彼は彼女がどんなに大切な人だったのかを自覚します。
言葉や態度に出さなくとも、そばにいた彼女の存在そのものが彼を癒やしていたのです。
主人公の心に浮かぶのは、これまで彼女と過ごした何気ない日常のひとコマなのでしょう。
今になってそれが幸せな日々だったことが、はっきり分かったのです。
最初の行の繊細な表現が、如何にも下田逸郎らしい歌詞だなと思います。
自分のことを男らしく“俺”と呼んでいるのに、主人公には弱いところがあるようです。
1番の歌詞では既に目に涙が浮かんでいましたが、2番でも言葉が出てきません。
口下手な彼の言葉の代わりに出てくるのは涙でした。
少し癖のある桑名正博の歌い方は、人によっては好き嫌いがあるかもしれません。
しかし心を込めて歌うのが、彼の大きな持ち味でもあるのです。
特にこの曲ではその傾向が顕著で、彼自身も好きな作品のひとつなのではないでしょうか。
2番では、だんだんと気持ちが昂ぶっていく彼らしいボーカルを聴くことができます。