主人公にとって、友達だった男性は友達以上の存在だったのは間違いありません。
本当は恋人と称して仲間に認めてもらいたいくらいの気持ちを主人公は持っていたはずです。
けれどもシャイで怖がりの友達は、とても仲間に公表できるくらいの勇気を持っていませんでした。
ならば、今のままでも十分幸せだ、と主人公は自分に言い聞かせていたのでしょう。
少々、勝ち気で男勝りだった主人公に対して友達の男性はとても気弱な男性。
案外、うまくいっていいカップルになっていける可能性は十分あったはずなのに。
友達をだめにしていった薬物がいけないのか。
はたまたそれを許した主人公である「私」がいけなかったのか。
でも、真実は1つだけ残っていました。友達のことが本当に大好きだった、という真実です。
主人公と友達の関係とは
別れを告げてしまったのは何故?
歌詞中の文言からは、主人公が一方的に友達に対して別れを宣告する箇所は見当たりません。
想像できるのは、主人公が別れを切り出したのではなく、運命が2人を別れさせてしまった、ということです。
つまり「死」が2人に永遠の別れを与えてしまったのです。
友達の男性はこうなることを予想していたのでしょうか?
それは離れ離れになってしまった今となっては、永遠の謎となってしまいました。
友達が変わってしまった原因とは
一方、友達の男性は主人公との暮らしの中で徐々に変わっていきました。
主人公の女性は友達の優しいところに惹かれたのです。
少々、男勝りで勝気な主人公の女性。
その主人公の性格をすべて受け入れてくれていた友達の男性。
主人公にとったらこんなに一緒にいて心休まる相手はかつていなかったことでしょう。
だから、友達の男性が違法薬物に手を染めるようになってもどうすることもできなかったのです。
主人公には、「たかが薬物。どうってことない」という思惑があったのかもしれません。
しかし、それが原因で確実に友達の男性は変わってしまったのです。
そして主人公の手の届かないところに「別れ」を告げて去って行ってしまうのでした。
歌詞は主人公の思いを2度繰り返してさみしさの余韻を残して、曲を終わらせてゆきます。
最後に
今回は森田童子さんのデビュー曲となった「さよならぼくのともだち」を紹介しました。
森田童子さん独特のさみしさオーラ満開のメロディはデビュー当時から光っていましたね。
本当は好きだった男性のことを「友達」という表現で終始終わらせています。
そして自身のことを「僕」と呼んで同姓同士を演出しています。
きっと友達である男性に余計なことを思わせない配慮だったのでしょう。
破滅の道へと進んでしまった男女の愛情劇を哀愁を込めて歌いあげた名曲でしたね。
これを機会に森田童子さんの楽曲、聴いてみましょう。
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