短い歌手活動だが最高のシンガー、山口百恵
現在日本のミュージックシーンにはさまざまなタイプの歌手が乱立していますが、40年以上前は歌唱力を前面に出したタイプがほとんど。
そんな最高の歌唱力を兼ね備えた歌手の一人である山口百恵は1973年4月デビューで、当初は森昌子と桜田淳子の3人で「花の中三トリオ」ともてはやされました。
山口百恵のデビュー曲は出演した映画『としごろ』と、同名タイトルのナンバーをリリース。
幸先の良いスタートとは言えませんでしたが、少女の初体験を思わせる『ひと夏の経験』のリリースをきっかけに歌手として大きく進展していくことになります。
その後もちょっぴり悪い女性像「ツッパリ少女」のイメージで、『プレイバックPart2』や『イミテーション・ゴールド』など流行に乗ったナンバーをリリース。
映画主演なども多数出演し、歌手としても女優としてもトップクラスまで躍り出ています。
しかし1979年に突然の婚約と引退を発表。
1980年最後のコンサートで華々しく引退をし、同年現在の夫である三浦友和との挙式を行います。
その後は度々マスコミの突撃にあいながらも一切復帰することなく現在まで主婦業を中心に生活しており、最近は息子の一人である三浦祐太朗が『いい日旅立ち』を披露したことで再び静かな注目を浴びています。
トップクラスの名曲『秋桜』
山口百恵がこれまでリリースしたシングルは33枚に渡りますが、彼女の歌手生活は約7年ほどの短期間。
しかしながら山口百恵の歌は名曲ばかりで、代表曲も多いです。
そんな名曲の一つと呼ばれる『秋桜』は、19枚目のシングルとして1977年10月にリリースされました。
嫁ぐ女性の心境や情景を歌った『秋桜』は、しっとりとしたバラードナンバー。
どこか寂しさを含んだ山口百恵の歌声が、より儚げな楽曲として仕上がっています。
作詞と作曲はさだまさし
. edited video based on CD audio.
バラードナンバーとして現在も多くの人が耳にする『秋桜』の、作詞と作曲を手掛けたのはさだまさし。
TVドラマ『北の国から』の主題歌や『精霊流し』など、比較的スローバラードを多く制作するシンガーソングライターとして現在も現役で活動しています。
同時に他アーティストに楽曲を提供したりそれらをセルフカバーすることも多く、山口百恵に提供した『秋桜』もカバーしています。
『秋桜』で山口百恵のイメージも一変
山口百恵が歌ったことで大ヒットを果たした『秋桜』。
実はこれまで山口百恵は当時社会的にさまざまな話題にのぼり流行の一つでもあった、「ツッパリ少女」をイメージしたナンバーばかり。
「ツッパリ少女」とはいわゆる不良などの思春期の反抗的な態度をする存在で、山口百恵はそんなイメージに沿って数々のナンバーをヒットさせています。
作詞と作曲もほとんどが阿木燿子と宇崎竜童によるもので、そんな中でさだまさしの楽曲は山口百恵自身のイメージも清楚な方向へ大きく変化。
これ以降楽曲の幅も広がり、ポップからバラードまで柔軟に歌い上げる実力派の歌手としての存在を確立させていきます。
楽曲もタイトルも『秋桜』ではなかった!?
山口百恵の大きな転機ともなった『秋桜』ですが、その制作背景にはさまざまなドラマも存在しました。
特にタイトルは何度も変更され、なかなか決まらなかったのだとか。
現在では「秋桜」は「コスモス」という呼び方をしますが、1977年以前は「あきざくら」と呼ぶのが一般的。
しかし山口百恵の『秋桜』がリリースされ、大ヒットを遂げたことで世間的な認識も「秋桜(コスモス)」という呼び方で現在まで定着しています。
そんな楽曲タイトルが『秋桜』になるまでの、秘話を紐解いてみましょう。