岡田有希子【ファースト・デイト】歌詞の意味を徹底解釈!二人だけの秘密って?切ない気持ちの真意を紐解くの画像

美しさを見極める目を持っていたのは竹内まりやだけではありません。

歌詞の中の優しいあなたもこの「ネクラ」と自己評価を下す少女の美しさに目を啓きます

目を啓かされて世界観が変わったのはあなただけでもないです。

私も恋の予感によって世界が一面の花畑に見えるようになりました。

つまり両想いによって初めてのデートができるのです。

こうした少年少女期はデートというものへの興味が尽きません。

デートそのものを体験したいので、最初の相手は誰でもいいという人だって多いはずです。

デートは誰としてもそこそこ楽しいものでしょう。

しかし相手に不思議な癖があったなど、謎なデートをしてしまう人もいます。

その点でこの曲の歌詞に登場するのふたりは夢心地でしょう。

もしかしたらイケメン男子のあなたにとって、これは最初のデートではないかもしれません。

この頃の男女の関係というものはアンバランスなことが多いです。

経験値に差があることを気にしていてはいつまでもデートなどできません。

私はあなたとの恋愛の経験値での差を特に気にしないのです。

こうした経験の差に過敏な時期は同じ年頃の男女が一室に閉じ込められている学生時代だけのものでしょう。

社会人になればそれこそ恋愛の自由を謳歌できるようになります

私は真面目に生きているがゆえに固有の大人びた性格があるようです。

経験値の差は仕方ないと受け止められる器量と大人びた思考を持っているのでしょう。

手だって繋いだのに

去り際さえ分からなかった

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たそがれになる頃
少しだけ SOWA SOWA
伏し目がちにあなた
“送ってゆくよ”と さり気なくつないだ
手と手が震えて おしゃべりが途切れる

出典: ファースト・デイト/作詞:竹内まりや 作曲:竹内まりや

映画に行ったのにそのことはあまり触れられずに夕暮れどきを向かえます。

初めてのデートでの映画の内容はドキドキしすぎて覚えていないのかもしれません。

デート映画のチョイスというものも大事な話題ですが、その点にはフォーカスを一切当てないのです。

ただ、映画を観ただけで現地解散という訳にはいきません。

然るべきデートでしたらカフェにでも入ったのかもしれない。

しかし竹内まりやはそのことさえ書きません。

この「ファースト・デイト」で彼女が書きたいのはハウツー・デートの話ではないのです。

竹内まりやは思春期における最初のデートでの切ない思いや思い出というものに焦点を当てます。

あのときふたりは若すぎたねと振り返られるような歌詞にしたかったのでしょう。

あの初々しさを忘れたくないと思う気持ちものぞけます。

別れ際が分からなくて困っている様子などが描かれるのです。

いまでこそ「じゃあ」などいいながら「おつかれー」とハイタッチして家路に帰れます。

しかしそんなあなたがまだ16歳だったときに、そんなスマートな去り方をできたでしょうか。

デートってどこまでしていいのかなと迷いながら、相手を家まで送ろうとします。

あなたは優しいイケメン男子という設定でしょう。

目立たない私よりは華のある人物です。

恋愛の経験値にも差があるかもしれません。

しかしそんなあなたもこの目の前の少女と最初のデートでどこまで距離を詰めていいのか分からないのです。

あなたが分からないのならば、「ネクラ」な私はなおさらその点で不器用でしょう。

あまりにも稚い恋愛かもしれません。

しかし私もあなたも必死で恋愛をしているのです。

初々しくて素晴らしい恋愛だとふたりを見守りたくなります。

1984年、あるいは1985年

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あなたは意を決して私を家まで送ると提案します。

私はデートとはそういうものなのだろうとあなたの気持ちを受け入れるのです。

ここであなたは私の手を握ります。

このくらいまでがかつての1980年代アイドル歌謡の限界の表現であるはずでした。

秋元康がおニャン子クラブをモチーフにしてもっと踏み込んだ表現をしたのはわずか一年後のことです。

竹内まりやと秋元康を並べてどちらがどうのと評価するのも違う気がします。

どちらも一時代を築いた立派な職業作家でしょう。

後は私たちリスナーの好みに委ねられるのです。

ただ、高校生の恋愛に関する価値観が一年や二年でガラリと変わったのは興味深い現象でしょう。

竹内まりやも秋元康も同時代に女子高生の恋にアプローチしました。

そのベクトルがこれほどまでに違うことが不思議です。

竹内まりやは宿命的にいい子である岡田有希子と対峙します。

一方で秋元康は素人感を醸し出すおニャン子クラブの面々をどう売ろうか考えました。

モチーフも素材にも女子高生という共通点しかないのです。

作風がここまで違うのも当たり前なのかもしれません。

岡田有希子はいい子なのですがとんでもなく度胸のあるアイドルでもありました。

ただ、そうはいっても最初のデートで手を繋いだときは緊張したかもしれない。

「ファースト・デイト」の歌詞は岡田有希子が歌うからこそ説得力があったのです。

その切ない思いを歌にした竹内まりやはセルフ・カヴァーしました。

彼女にしても大事な思い出を描いた楽曲であることを裏付けるエピソードでしょう。

胸のときめきは秘密

竹内まりやの楽曲の不思議

胸がほら DOKI DOKI
うわさになりそうね
どんな顔で 今度会えばいいの
みんなに内緒よ

出典: ファースト・デイト/作詞:竹内まりや 作曲:竹内まりや

竹内まりやの楽曲には固有の可愛さやいい意味での拙さが漂っています。

それは幼少の頃から作詞作曲というものを積み重ねてきた訳ではない彼女のキャリアに由来するのです。

竹内まりやの楽曲熟れた印象よりも新鮮さこそが際立ちます

そんな彼女だからこそ「ファースト・デイト」という楽曲を書けたのだろうと思わせるのです。

初々しい最初のデートの思い出への執着というものも竹内まりやの手にかかるからこそ際立ちます。

女子の心をいまでも忘れていないだろう彼女1984年に記した楽曲。

いまよりさらに少女期に近かった頃の竹内まりやに固有な表現が切ないです。

こうしたキラメキはいずれ時間とともに後退するものだからでしょう。

18歳で夭逝した岡田有希子は永遠に少女の面影で私たちに微笑みます。

最初のデートでの胸のときめきというものが1984年に真空パックされたままいまの私たちを和ませるのです。

ああ、最初のデートは信じられないほどに緊張したなという思い出を刺激してくれます。

「不純異性交遊」という不文律

私はあなたとのデートが校内で噂になることを警戒します。

いまの若い人たちには信じられないでしょうが、当時はまだ「不純異性交遊」という言葉が健在でした。

若い頃の恋愛は自然な感情によるものです。

しかし教育現場の風紀を乱すとして学校内で禁止する風潮がありました。

子どもの人権というものを何だと思っていたのか不明な謎理論が教育現場で幅を効かせていたのです。

私もあなたもそうした傾向の影響下にいたのかもしれません。

だからこそふたりの恋愛関係は秘匿にしないといけませんでした。

学校でこそ出会えたふたりは、学校という魂の牢獄の中で窒息しそうです。

それでもふたりはこうした不文律を恋愛によって打ち破ります。

そうして「ファースト・デイト」に漕ぎつけたのです。

とはいえ週明けからの校内でどんな表情をしていいのかまでは考えていませんでした。

意味のない不文律のために秘匿にしなければいけない恋愛があった

これは昭和の世界に忘れていきたい因習かもしれません。

最後に 切なさを再生しよう

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