ペープサートの「メル」

「メルの黄昏」のMVはYouTubeで公開されています。

この楽曲の中で花譜は観測者。見つめる視線の先にあるのは小さな箱の中のペープサート(紙人形劇)です。

メルその人と思しいセーラー服姿の女の子は、膝を抱えて俯いたまま、一体どんな気持ちでいるのでしょうか。

凝った作りの秀逸なMVなので、気になった方はぜひ視聴してみてください。

メルとは誰なのか

花譜【メルの黄昏】歌詞の意味を考察!絶えぬ不幸とは?なぜメルは自分を責めてばかりなのかを深読みの画像

フランス語なら「海」、ラテン語なら「蜂蜜」を意味するメルという響き。

海外では男性名である場合が大多数ですが、日本人の耳にはとても女性的な名前に聞こえます。

メルとはどこの誰なのか、楽曲中で詳しく語られることはありません。

しかし抽象的な存在であることにこそ意味があるともいえるでしょう。

悩みや苦しみを抱えてうずくまるメルに自分自身を重ねずにはいられない方も多いのではないでしょうか。

曲の中でもMVでも、花譜はそんなメルのことをじっと見つめ続けています。 

自分を責めるメル

メル
君はそうやっていつも自分を責めてばかりだ
テレビのニュースもあの子の自殺も
君のせいではないんだよ

メル
君はそうやっていつも自分を責めてばかりだ
正義はいつも移り変わる
過去など関係ない

出典: メルの黄昏/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ

メル、という呼びかけから曲が始まります。

メルはセーラー服姿なので、一般的な「引きこもり」や「不登校」とは違うようにも見えます。

制服には袖を通すし登校するつもりもあるけれど行けない、そんな複雑な状況にあるのかもしれません。

ともあれ、誰にも心を開けず部屋に閉じ籠もって、孤独にさいなまれていることは間違いないでしょう。

花譜はメルが自分自身を責めてばかりいると歌います。

ニュースで流れる悲しくて痛ましい事件のほとんどは、確かに自分とは関わりの薄いものかもしれません。

ただ、この広い世界と自分とがどこかで繋がっていることもまた確か。

自分が行動を起こしていれば何かを変えることができたかもしれない。それなのに何もできなかった。

どこかにそんな思いがあるからこそメルは己を責めて苦しんでいるのでしょう。

優しいメル

メルという存在について考える時、共感力の高い等身大の女の子を思い描かずにはいられません。

学校では明るく振る舞っているけれど、部屋では1人、辛いニュースに胸を痛めてじっとうずくまる女の子です。

曲名にある「黄昏」は「放課後」にも通じていて、メルの学校と家でのギャップを暗に示しているのでしょう。

昨日までの正義が今日は悪にもなるような、何を信じればいいかも分からない不安定な世界。

そんな世界に対してメルが辛さを感じているのは、彼女が感受性の豊かな優しい女の子だからなのでしょう。

変わらないメル

メルに対する花譜の呼びかけには、他人ではとても知りえないようなことも含まれています。

寂しさも悲しさも恋心も、本当の所は自分自身にしか分からないはずです。

誰でもないからこそ誰でもありうるメルは、歌っている花譜自身でもあるのかもしれません。

意味を知らず雪を見ていた
寂しさばかり積もるばかり
恋をしてた見える全てに
カーテンの隙間で揺れ動く

世界を見るメル
君はいつも悲しい顔でテレビを見てる
正義などない
好きなものを信じなさい
でも君は変わらない

出典: メルの黄昏/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ

メルの居場所

歌詞の一部からはメルにももっと無邪気でいられた時期があったことが読み取れます。

寂しさに気付くのは精神的な成長の証だと捉えることもできるでしょう。

何も知らずにいられた頃は何もかもを好意的に受け取っていた。自分を包む世界の全てが好ましかった。

けれど今、メルの居場所は小さな部屋の中に限定されています。

メルに寄り添う存在

メルの悲しみを花譜が知っているのは、彼女がメル自身だからだと考えることもできるでしょう。

上述したように、誰でもないメルは逆にいえば誰でもありうる存在なのです。

まるで保護者か親友のような花譜のメルに対する呼びかけが胸を打ちます。

メルがそれでも変わらない所まで含めて、青春のリアルが歌い上げられているといえるでしょう。

幸福を無視するメル