普段日常の中で過ごしていると気づきません。
日常から離れると今まで過ごしていたごく当たり前の日々が素敵なものと気づきます。
誰かと笑って話して泣いて傷ついて。
1人でいたいと願っても誰かと共にいる。
そんな何気ない日々が何よりも愛おしいのです。
日常を愛するために旅にでる
大切なものを失くして また手に入れて
そんな繰り返しのようで その度新しくて
「もうこれ以上 涙流したり笑いあったりできない」と言ってたって
やっぱり人恋しくて
出典: 旅立ちの唄/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
誰かと交流することや、何かを必死になって取り組むことは誰にだってあります。
しかしそれが実を結ぶとは限りません。
失敗して傷つけられて何かを失って落ち込むこともあります。
もう人と一緒にいたくない、1人でいたいと思うこともあるかもしれません。
しかしずっと1人でいたら独りでいることに耐えられなくなります。
1人で平気なのは本当に独りではないからでしょうから。
そうしてまた新たな関わりを求めます。
新たに得たものは前にもらったと思うかもしれません。
けれども同じものは1つもないのです。
繰り返しのように思える毎日だって実際は色々と違うもの。
それを知るために人は旅をするのかもしれません。
離れたからこそ今までいた場所の良さがわかるものですから。
好きだというのは大変だけれど
今が大好きだって躊躇などしないで言える
そんな風に日々を刻んでいこう
どんな場所にいても
出典: 旅立ちの唄/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
過去には戻れないし未来は遥か彼方。
人は、今に生きることしかできません。
その今が苦しいと途端に生きていることがつらくなります。
だからこそ今も大切にかけがえのない物だと思って生きていたいのです。
口で言うのは簡単ですが、それは並大抵のことではありません。
悲観する方が楽なことも多く嫌なことばかり目につき、好きを保ち続けることは難しい。
それでも今を肯定するように日々を重ねていきたいと願います。
そうあれる場所、そうあれる自分。
派手なことばかりに目をかけるようではたどり着けないのではないでしょうか。
何気ないことにでも目を配ることが大切なのかもしれません。
そのためにはずっと、転んだままではいけないのでしょう。
俯いたままでは空のきれいさにも気づけません。
支えて支えられて
どこかへと向かう1人旅。
心細く不安になることもあるでしょう。
それでも今までの日々が、繋がりが背中を押してくれます。
転びそうなときも支えてくれます。
例え1人だとしても決して独りではないのです。
支えてくれる存在
Ah 旅立ちの唄
さぁ どこへ行こう? また どこかで出会えるね Ah
とりあえず「さようなら」
自分が誰か分からなくなるとき君に語りかけるよ
でも もし聞こえていたって返事はいらないから
出典: 旅立ちの唄/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
新しいこと、新しい場所。
その場所に慣れることに必死でがむしゃらに物事に取り組みます。
自分が何をしたいのかどこに立っているのか不安になることもあるでしょう。
そんな時に自分を引き戻してくれる存在。
主人公にとってはそれが「君」なのでしょう。
きっと「君」と過ごした日々は自分らしくいられた日々。
それを思い返すだけでも心が落ち着いてくるのです。
だからこそ返事はなくとも構わないのでしょう。
実際に会うことがなくとも「君」の存在が主人公を支えています。
最後に唄って
Ah 始まりを祝い歌う最後の唄
僕は今手を振るよ Ah
悲しみにさようなら
疲れ果てて足が止まるとき 少しだけ振り返ってよ
手の届かない場所で背中を押してるから
出典: 旅立ちの唄/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
別れがあれば出会いがあります。
何かを失くしたならば同時に何かを手に入れるでしょう。
そして終わりがあれば始まりもあるのです。
では最後の唄とは何を指すのか。
きっと大切な人を送り出すために多くの言葉をかけたりしたのでしょう。
その言葉の締めくくりとして最後に唄って背中を押したのです。
例え離れていたとしてもずっと支えていると伝えるために。
思い出は足を止めるためにあるのではなく、一歩休んでまた進むためにある。
そう思わせてくれます。
たとえ何か悲しいことがあったとしてもその都度乗り越えられるように願って唄います。
それは大切な人のための応援歌です。
確かにいる
Ah 旅立ちの唄
さぁ どこへ行こう? また どこかで出会えるね Ah
とりあえず「さようなら」
自分が誰か忘れそうなとき
ぼんやり想い出してよ
ほら 僕の体中 笑顔の君がいるから
背中を押しているから
でも返事はいらないから
出典: 旅立ちの唄/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
人は鏡の前でしか自分を見ることができません。
鏡の前以外の自分を見ることは不可能です。
それを見ることができるのは自分ではない他の人です。
きっと自分の存在は自分だけで確立するものでないのでしょう。
時として、他の人の方が自分以上に自分のことを知っていることもあります。
少なくとも自然な笑顔は自分では見ることのできないもの。
2人で過ごした思い出の中に確かに「僕」がいるし「君」がいる。
それだけでも前に進むことができます。
そうして旅を続けるのです。
郷愁に縛られることのないようにまた再会を望んで手を振るのです。