10代の若者が歌った真っ直ぐすぎる愛の歌
どこかねじれているかのような曲の世界観や、意味を考えれば考えるほど深みに引きずり込まれていくような歌詞。
RADWIMPSの魅力を語ろうとすると、他のバンドとは違う強烈な個性ばかりが浮かび上がります。
しかし、今日ご紹介する「愛へ」が世に放たれた2003年頃は、どうだったでしょうか。
学生だったRADWIMPSが紡ぎ出す曲の数々は、危うさとひたむきさの混沌でした。
まだアイデンティティが確立していない不安定な土台に、ひたすら真っ直ぐな滑走路が伸びているような矛盾。
「愛へ」はそんな若かりし頃のRADWIMPSを象徴する一曲といえるでしょう。
「愛へ」の中で繰り返さえる感謝の言葉、英語でつづられる「愛」、これらに込められた意味を紐解いていきます。
収録アルバムはRADWIMPSのファーストアルバム
曲順から考察する「愛へ」の位置づけ
1st Album「RADWIMPS」
1.人生出会い
2.自暴自棄自己中心的(思春期)自己依存症の少年
3.心臓
4.もしも「みんな一緒に」バージョン
5.さみしい僕
6.コンドーム
7.青い春
8.「ぼく」と「僕」
9.あいまい
10.嫌ん
11.「ずっと大好きだよ」「ほんと?・・・」
12.愛へ
13.あいラブユー
出典: RADWIMPS/RADWIMPS
この頃からすでにRADWIMPSが作る曲のタイトルは「普通」ではないですね。
その中で一曲だけ、RADWIMPSの曲としては「没個性的」と感じてしまうタイトルが見つかります。
それが「愛へ」です。
アルバム「RADWIMPS」の収録曲の中の異彩
アルバムの12曲めに収録されていますが、前後の曲とのつながりはあるのでしょうか。
アルバムの前半から中盤までは、恋をする若者の喜びや葛藤を歌う作品が続いています。
中盤以降に歌われるラブソングは一曲ごとに熱を帯び、そして12曲めの「愛へ」へとたどり着くのです。
いくつもの恋や愛に触れてきた結果、10代の若者RADWIMPS、野田洋次郎の目に何が見えたのか。
つまり、彼らの青春時代の総括の頂点に「愛へ」が位置しているといえます。
「愛へ」1−Aパート
曲の冒頭は言葉ひとつひとつを置いていくような、語りかけるような英詞から始まります。
和訳してその意味を考えみましょう。
未熟だった自分を回顧する
I am I, myself only me I said
I never believed the love everyone needs
出典: 愛へ/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
「自分のことは自分にしか分からない」という思考。
これは人生を積み重ねてきた人の上でのみ成り立つものではないでしょうか。
10代の若者の言葉としてはとても身勝手ですね。
他者からの言葉について深く考えずただ拒絶することしかできないという非力を声高に主張しているようなもの。
愛を「信じられなかった」のなら、愛に絶望してしまうきっかけを経て信じられなくなったのだと理解できます。
しかしこの歌詞では「can't」は使われておらず、ただただ頑なに「信じなかった」と歌っています。
十数年の人生で失恋や裏切りを知り、ラブアンドピースなんて建前だけのような世界を見てきました。
「僕」はそれを過去として、愛を信じる勇気を持てず、目を背け耳を閉ざしていたのだと回顧しています。
殻にこもっていた僕の思い込み
Maybe I was serching from somewhere in me
So deep so dark that I can't even feel
But never tried to think that they were in a reach
of me so close to sweet so bright
出典: 愛へ/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎