パートナーと巡り逢う

小沢健二【ある光】歌詞を独自解釈!“線路を降りる”と誰かが待っている?…活動休止前の幻の名曲を紐解くの画像

この線路を降りたら
虹を架けるような誰かが僕を待つのか?
今そんなことばかり考えてる なぐさめてしまわずに

出典: ある光/作詞:小沢健二 作曲:小沢健二

実際に線路を降りた先のニューヨークには素敵な人々が小沢健二を待っていました。

小沢健二は毎夜ニューヨークのクラブに出かけて街のメロディーとビートを身体に叩きつけます

クラブは音楽に震えて踊るだけでなく人脈を構築する場所です。

彼はクラブに足繁く通うことでニューヨークの音楽人と交流を深めました

アルバム「Eclectic」「毎日の環境学:Ecology Of Everyday Life」のレコーディング・メンバーの顔ぶれ。

小沢健二が如何にニューヨークのシーンに自身を同化させることができたかを教えてくれます。

また彼はニューヨークで写真家のエリザベス・コールと結婚するのです

彼女こそ小沢健二が出会えることを待望していた誰かそのものでしょう。

僕はわがままだから結婚なんて無理みたいな歌詞を書いていた王子様は日本に置いてきた過去の姿です。

小沢健二のコミュニケーション能力は日本でも海外でも場所を問わずにずば抜けたものなのでしょう。

音楽の中に神様を見る

街のビートに撃たれる

小沢健二【ある光】歌詞を独自解釈!“線路を降りる”と誰かが待っている?…活動休止前の幻の名曲を紐解くの画像

強烈な音楽がかかり 生の意味を知るような時
誘惑は香水のように 摩天楼の雪を融かす力のように強く

僕の心は震え 熱情がはねっかえる
神様はいると思った 僕のアーバン・ブルーズへの貢献

出典: ある光/作詞:小沢健二 作曲:小沢健二

スポークン・ワードの箇所です。

移住前にニューヨークに寄っただけで小沢健二の心は昂ぶります。

ニューヨークで身体に沁みるビートに興奮するのです。

スポークン・ワードを楽曲に取り入れたのは「愛し愛されて生きるのさ」以来のこと

小沢健二という人は元々朗読というものが好きだったのでしょう。

ライブなどで朗読を披露することが度々あります。

音楽も好きだけれど言葉というものの不思議さにも取り憑かれている

歌詞なんて何でもいい」といい放つ小山田圭吾とは正反対のアティチュードです。

神様への言及は「天使たちのシーン」などでも見られました。

小沢健二の信仰についてはこうした歌詞しか資料がないです。

現代思想を読みまくっていたでしょう彼ですから神様や信仰というものは既存の宗教に収斂されないはず

彼がニューヨークで接した音楽はおそらくHIP HOPです。

HIP HOPはゴスペルの影響が色濃いですから音楽の中で神様の存在を感じたのかもしれません。

小沢健二とHIP HOP

手法の親和性

小沢健二【ある光】歌詞を独自解釈!“線路を降りる”と誰かが待っている?…活動休止前の幻の名曲を紐解くの画像

摩天楼の雪 融かされる日に
あと15分ばかりでJFKを追い

連れてって 街に棲む音 メロディー
連れてって 心の中にある光

出典: ある光/作詞:小沢健二 作曲:小沢健二

ニューヨークは冬に積雪するのが風物詩です。

その降り積もった雪が溶けてゆくだろう春の訪れの予感がする日の光景。

小沢健二がニューヨークで再確認したのはHIP HOPの「手法」と自分の音楽の紡ぎ方との親和性です

彼はフリッパーズ・ギター時代からサンプリングを多用してきました。

HIP HOPもサンプリングと縁が切れない音楽。

この曲「ある光」の冒頭もEric Kazの「Good as it can be」が元ネタです

それでもニューヨークという街との邂逅は彼の音楽的嗜好を変化させます。

キラキラのポップスから強烈なビートを利かせたサウンドへの変化。

後にニューヨークから届けられたアルバム「Eclectic」はビートへのこだわりが凄まじかったです

先進的なサウンドはミュージシャンたちを刺激しましたがリスナーの理解を得るためには時間がかかりました。

ニューヨークの街のビートに導かれた先の音楽はJ-POPとして機能できなかったのです。

それでも小沢健二自身が選んだ道であり光でありました。

「ある光」も「生命の最大の肯定」

ファンには見えなかった苦悩

小沢健二【ある光】歌詞を独自解釈!“線路を降りる”と誰かが待っている?…活動休止前の幻の名曲を紐解くの画像

見せてくれ 街に棲む音 メロディー
見せてくれ 心の中にある光

この線路を降りたら
虹を架けるような誰かが僕を待つのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに

出典: ある光/作詞:小沢健二 作曲:小沢健二

「ある光」と祖父の死が小沢健二の中でどのようなリンクを結んでいるのかは中々分かりづらいです。

「ある光」には死の影よりも生命力の漲る姿を感じるもの。

下河辺孫一という方がバイタリティ溢れる人であったのかもしれません。

何せ彼の姓を冠する大きな牧場があるくらいですから。

生きることというよりも線路を降りてでも生き残れという気持ちが顕れているのかもしれません

そうなると日本のスターダム・システムの弊害について想いを寄せてしまいす。

元々はサブ・カルチャーの雄だった彼が一躍メインストリームで脚光を浴びたこと。

これはサブ・カルチャー勢の勝利を意味するくらい大きな出来事でした。

しかし当人にとって消費され尽くすことは辛いことでもあったのかもしれません

テレビなどのメディアでは不遜なくらいに明るい人ですから心の苦しみを推し量り難いのですが。

この頃の小沢健二は自身の生きる本能に身を任せて旧い線路から降りる決断をしたのでしょう。

慰めないというのも強い生命力からの指示をとにかく信じようという想いが滲みます。

実際にニューヨークで家庭を持てるまで成長した小沢健二。

世界中を飛び回りフィールドワークを続けて環境保護活動にも邁進する。

小沢健二の根本哲学とはやはり「さよならなんて云えないよ」でタモリが喝破した「生命の最大の肯定」

「ある光」にも生きることそのものの躍動がドキュメントのように生々しく語られています。

「船に乗ろう」宣言