「EAST ASIA」の問題提起
1992年10月7日発表、中島みゆきの通算20作目のアルバム「EAST ASIA」。
このアルバムのタイトル・チューンである「EAST ASIA」の歌詞に迫ります。
私たちが棲むこの東アジアというものが何であるのか。
国境や国の違いばかりを気にする私たちに問題提起をした感動作です。
中島みゆきというアーティストがより大きな視点から人間を描き出した時期の曲でもあります。
深化し続ける彼女の芸術家人生の中でも重要な作品です。
世界中でナショナリズムが不健康な形で勃興するいまの状況にも大事なテーマを投げかけます。
この曲の歌詞の深さというものをできるだけ丁寧に紐解いていきましょう。
それでは早速、実際の歌詞をご覧ください。
旅の大切さを知る
中島みゆきの優しい声音
降りしきる雨は霞み 地平は空まで
旅人一人歩いてゆく 星をたずねて
どこにでも住む鳩のように 地を這いながら
誰とでもきっと 合わせて生きてゆくことができる
出典: EAST ASIA/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
中島みゆきが語りかけるように歌ってくれます。
その声の優しさというものに胸を打たれるでしょう。
しかし徐々にその言葉は鋭さを増してゆくので注意が必要です。
この歌い出しでは大地を自由に旅する人を登場させます。
彼・彼女にとっては夜空に浮かぶ天体のようなものこそが目標です。
どこにでも行けるこの人物は、旅先で色々な人の心と共感できます。
人間にある能力で大切なものとしてまず共感力を中島みゆきは描きました。
巨大なパワーに負けない心
でも心は誰のもの 心はあの人のもの
大きな力にいつも従わされても
私の心は笑っている
こんな力だけで 心まで縛れはしない
出典: EAST ASIA/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
楽曲の序盤ですでに重いテーマへと踏み込んでゆきます。
私たち人間存在の心の持ち主について問うのです。
彼・彼女の心は愛する人のためにあると表現します。
その先に重要なワードが登場するのです。
それをこの記事ではパワーというカタカナ英語に置き換えます。
パワーとは物理的なものでもあるでしょう。
この世界の至るところにこのパワーがあります。
中島みゆきはここでどういったパワーを念頭に置いているのでしょうか。
それは国家権力のように私たちの外部にあって、強く働きかけているパワーのことです。
私たちはこのパワーによって絶えず揺るがされます。
しかし本質的にこのパワーは私たちの心までをも掌握するものではないと限界付けるのです。
国家権力のような巨大なパワーに心まで委ねることはできないという人間の尊厳を歌いました。
国って何だろう
厄介なことは要らないから
くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
むずかしくは知らない ただEAST ASIA
くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
むずかしくは知らない ただEAST ASIA
出典: EAST ASIA/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
すぐにサビになります。
ここで中島みゆきが歌うことこそ、今日の世界でも大切な事柄になるのです。
彼女は国というものについて語っています。
しかし不思議なことに中島みゆきは日本国というものにはこだわりません。
その代わりとして彼女は東アジアと呼ばれる国に棲んでいると歌うのです。
東アジアの国々に棲む人びとの多くは瞳が黒いでしょう。
この東アジアという国に棲む人はこの共通点くらいしか持ちません。
そして厄介なことは考える必要などないと彼女は歌うのです。
その真意はどこにあるのでしょうか。
ヨーロッパ旅行での悟り
中島みゆきはヨーロッパに旅行に出かけると中国人に間違われるとインタビューで語りました。
一応、その場では「日本人です」と誤解を解こうとしたといいます。
ただ、その後に彼女は思いました。
遥か遠くの人にとって日本と中国の区別などどうでもいいことなのだろうと悟るのです。
彼女はおそらくそう気付いた瞬間に自分の中にあった固定観念の間違いを知ります。
国境を隔てて狭い範囲で諍いを煽ったりすることがよくあるでしょう。
このときの私たちの国民意識というものは、もっと遠くの異国にゆくとバカバカしくなる。
さらにいえば私たちは大雑把に東アジアから来ましたよと自己紹介するだけでいいのではないか。
東アジアの国々でのそれぞれの帰属意識など旅先では意味などないのです。
旅先では誰とでも打ち解けられる共感力があるのに、なぜ近隣諸国との問題でその能力を発揮しないのか。
中島みゆきはだからこそ日本という国がどうのという前に、大雑把に東アジアの人間だと意識し直しました。
こうした思いを共有するために彼女は「EAST ASIA」を発表します。