「タクシードライバー」を忘れられない
1979年3月21日発表、中島みゆきの通算5作目のアルバム「親愛なる者へ」。
このアルバムに収録された名曲「タクシードライバー」をご紹介しましょう。
中島みゆきが「わかれうた」歌いとして注目を集めていた時代の名曲になります。
失恋したばかりの女性が深夜の街でタクシーの運転手のおしゃべりを聞くという設定です。
この運転手の心遣いの優しさというものを絶妙かつリアルな描写で表現してファンの心を掴みました。
「玲子」「わかれうた」「化粧」「うらみ・ます」など。
それぞれ細かい時代は前後しますがこの頃の中島みゆきの失恋ソングは舌を巻くほどに素晴らしいです。
「タクシードライバー」もこうした名曲のうちのひとつでしょう。
女性の失恋の風景を描いているのにリスナーは思わず感動してしまうのですから怖ろしい曲です。
しかしこの曲で描かれたタクシーの運転手のような人は素敵だなと思わずにはいられません。
人と人のわずかな時間の交歓がどれほど重い意味を持つものかを教えてくれる楽曲です。
ファンならば誰しもが愛している楽曲ですが、若いリスナーにこそ触れて欲しいとも願います。
すべての世代のすべての音楽ファンを唸らせるだろう名曲の歌詞の秘密に迫りましょう。
それでは実際の歌詞をご覧ください。
騒いでみても虚ろ
ハードロックに救いを求めても
やけっぱち騒ぎは のどがかれるよね
心の中では どしゃ降りみたい
眠っても眠っても 消えない面影は
ハードロックの波の中に 捨てたかったのにね
出典: タクシードライバー/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
歌い出しの歌詞になります。
登場人物はあたしとつい先日までは恋人だったあいつ。
そしてあたしが乗っているタクシーの運転手がいい味を出します。
あたしは先ほどまでライブ会場か何かでハードロックに身を任せて騒いでいました。
まだヘヴィメタルなんて言葉は一般的ではありません。
旧来からのUKやUSのハードロック・バンドは活躍していました。
ただし、日本社会でハードロック/ヘヴィメタルが本当に市民権を獲るのはこの5年後くらいです。
あたしは喉をからしながら音楽を愉しんだようですが気力は空回りしています。
あたしにはどうしても空騒ぎをして、羽目を外して愉しみたい理由がありました。
その理由については後に記しましょう。
ただ、あたしがすでに面影というものに訴えている辺りで勘のいいリスナーは理由に気付くはずです。
脳内の中から消えない面影というのは誰のものでしょうか。
すでに物語が自然に始まっていて、状況が目に浮かぶような歌詞であるのが見事です。
結局、いくら空騒ぎをしても、胸にある空虚の気持ちは埋められませんでした。
他人の幸せを羨む女性像
笑っているけど みんな本当に幸せで
笑いながら 町の中歩いてゆくんだろうかね
忘れてしまいたい望みを かくすために
バカ騒ぎするのは あたしだけなんだろうかね
出典: タクシードライバー/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
この頃の中島みゆきはときどき幸せな人を羨ましく思う気持ちを主人公に吐露させます。
アルバム「愛していると云ってくれ」に収録された「怜子」などがその筆頭格です。
他の人を羨むというのは、自分が置かれている状況を情けなく感じているからでしょう。
どこかで自分というものをダメな女だと思う気持ちが芽生えてしまうのです。
近年の作品ではこうした女性についてあまり歌ったりはしません。
中島みゆきはいつも流転しながら深化・進化してゆくアーティストです。
他人の幸せというものを羨む感情に縛られた女性は初期によく見られる作風でしょう。
もっと大きなテーマに取りかかるようになると幸せを他者にとって切実なものとして考えるようになりました。
リスナーという他者のために幸せを追求するようなスタンスが芽生えるのです。
大きな進化ではあるのですが、それでも初期の中島みゆきが描く女性像に惹かれる人も多いでしょう。
いずれにしてもあたしは幸せな誰かという他人にはなれません。
あたしは胸に大きな悲しみを抱えて街を歩いていたのです。
虚ろな自分の心と引き換えに、あの人たちの笑顔は屈託がないなと思いながら生きています。
しかしあの人たちだって服を剥ぐと傷跡があるのではないかと疑ってもいるのです。
その人の優しさは
かつては饒舌だった運転手たち
タクシー・ドライバー 苦労人とみえて
あたしの泣き顔 見て見ぬふり
天気予報が 今夜もはずれた話と
野球の話ばかり 何度も何度も 繰り返す
出典: タクシードライバー/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
もうこの歌のサビになります。
聴いているリスナーも切ない思いを抱えてしまう、あまりにも有名なサビの歌詞です。
タクシーの運転手と会話することを皆さんはどのように感じているでしょうか。
目的地まで愉しく時間を過ごすことができて有意義だと感じる人はどれほどいるのでしょう。
現代では多くのタクシー運転手が寡黙になっています。
若いリスナーは目的地まで車内でずっとスマホをいじっていて、運転手と会話したことがない人も多いはず。
歳を経たリスナーはかつての饒舌だったタクシー運転手はどこに行ったのかと思っている人もいるでしょう。
ただ、タクシーの車内で運転手の話しに合わせる必要がなくなったことにホッとしている人の方が多いです。
タクシー運転手との会話が愉快なものであったならいまなお車内はおしゃべりで充満しています。
しかし現状はおそらくタクシー会社のマニュアルによって運転手は寡黙になっているのです。
乗客に無闇に話しかけてはいけないという指導がなされているのでしょう。
1979年という時代背景を読む
中島みゆきの「タクシードライバー」が発表された1979年の運転手は饒舌でした。
さらに結構な音量でラジオや音楽を車内で鳴らしていました。
ラジオのおしゃべりで運転手の言葉が聞き取れなかったりするのです。
この「タクシードライバー」の車内でもラジオがかかっていた可能性があります。
あたしは胸のうちに隠していた悲しみに耐えきれずに思わず涙を流してしまうのです。
しかしよくできた人柄であるこの運転手は涙の理由を尋ねるような野暮な真似はしません。
きっとこれまでもこの車内で色々な人の喜怒哀楽とともに働いてきたのでしょう。
運転手はあたしの負担にならないような軽い話題ばかりで気まずい空間を埋めてくれます。
天気予報の精度はいまよりももっと劣悪でした。
とりあえず話しのきっかけはラジオでのプロ野球実況にします。
いまでこそ老舗のラジオ曲でさえ聴取率の関係でプロ野球実況から撤退しました。
しかしこの歌は1979年の歌です。
レジェンドである王貞治が現役選手でホームランを放っていました。
この年に公開された名画「太陽を盗んだ男」での犯人の男の要求はジャイアンツ戦のテレビ中継の延長です。
プロ野球というものがまだ生き生きとしていた時代でありました。
いまでこそもうこうした会話をしてくるタクシー運転手はいなくなります。
誰もが野球に関心がある訳ではありませんし、贔屓にしているチームが乗客と違ったら大変でしょう。
余計なトラブルを招かないようにタクシー運転手は寡黙になります。
ただこの「タクシードライバー」を聴くと懐かしい時代に戻りたくさえなるでしょう。
心の棘をそっと抜いてくれるような人との会話がなくなるのは寂しいものです。
とにもかくにもあたしは運転手の気遣いに感謝しています。