負のサイクルから抜け出せない
彼女は夢見てる 華やかな MOVIE STAR
湖の畔に車を止めて
俺達 楽しむのさシートを倒して
むし暑く長い夏の夜
あの時彼女は こう喘ぎ続ける
"愛してる・・・愛してる・・・
もっと もっと・・・"
だけど ゆうべどこかの金持ちの男と
町を出て行った
出典: MONEY/作詞:浜田省吾 作曲:浜田省吾
青春の悲劇は喜劇と紙一重。
可哀想な話なのですが一方で黒い笑いがこみ上げてきます。
まだ青年男性の「草食化」など考えられなかった時代のお話。
娯楽の少ない地方都市では男女がふたりで楽しめることは限られています。
この時代でもお金になびく女性ばかりではないはずですがいかにもありそうなエピソードです。
ただこうした価値観の女性は彼女自身を「安く」しています。
早く忘れてもっといい女性に出逢えばいいのです。
しかし「MONEY」が歌っているのはそういうことではありません。
「MONEY」の多寡によって男女の関係にも亀裂が入る社会の有り様を歌っています。
負け組の男性が社会にある円環から抜け出ることが難しい様子。
今の日本社会もまた同様です。
勝ち組と負け組を生み出すサイクルからの離脱はとても困難。
企業社会を中心に豊かさを享受する仕組みができたその時点でこの未来は分かりきったものでした。
原因は高度経済成長時代にまで遡れるのです。
「MONEY」は平等に人を狂わせる
主人公の啖呵は痛快?
Money Money makes her crazy
Money Money changes everything
いつかあいつの足元に BIG MONEY
叩きつけてやる
出典: MONEY/作詞:浜田省吾 作曲:浜田省吾
「MONEY」は社会層の区別なく人を狂わせます。
男女の区別もありません。
誰しもが商品に魅せられ欲望を抱きます。
資本主義社会を動かしている原動力は果てのない欲望です。
主人公が啖呵を切る姿は勇ましいですが根本的な問題の解決にはなりません。
彼の欲望が充足されるだけなのです。
一見、痛快に見えるシーンですが刹那な側面が強いもの。
ひとりの欲望が満たされただけでは地方と都市の格差の問題は何ら解決しません。
後に見てゆくように「MONEY」はその点を執拗に描いてゆきます。
中々おそろしい曲なのです。
また「MONEY」への欲望は際限を知りません。
主人公はいつまでも「MONEY」への執着を捨てきれないでしょう。
そうして大事な心を失ってゆく姿が哀しいです。
テロルとルサンチマン
ニヒリズムへの接近
俺は 何も信じない
俺は 誰も許さない
俺は 何も夢見ない
何もかもみんな 爆発したい
出典: MONEY/作詞:浜田省吾 作曲:浜田省吾
社会への復讐としてテロルを画策する。
この主人公がどこまで本気なのかは不明ですが後にオウム真理教の一連の事件が起きます。
松本智津夫のルサンチマンが銃爪で起こった数々の陰惨な事件。
冴えない男性が教祖として祀り上げられて社会の転覆を期すること。
オウム真理教もまた「MONEY」への執着が半端ない宗教団体でした。
実態は極めて世俗的な新興宗教であります。
主人公の考えはどちらかというとニヒリズムに通じるもの。
宗教を信仰する気はないかもしれません。
アナキズムへの傾倒が強いです。
浜田省吾は学生運動時代にアナキストと接触している中でこうした人物像を描いたのかもしれません。
行き過ぎた資本主義の中でルサンチマンを溜め込んだ人による爆発。
治安が良いとされるこの国でもかつて起きたことですし今も陰惨な事件は跡を絶ちません。
他人事・絵空事ではない話題です。
欲望をコントロールするメディア
テレビジョンからインターネットへ
純白のメルセデス
プール付きのマンション
最高の女と ベットで ドン・ペリニヨン
欲しいものは全て ブラウン管の中
まるで悪夢のように
出典: MONEY/作詞:浜田省吾 作曲:浜田省吾
この曲のこのラインで「ドン・ペリニヨン」が日本でメジャーになったのは有名なエピソードです。
昭和の時代ですからシャンパンはあまりメジャーな飲み物ではありませんでした。
テレビ・ドラマが「トレンディー・ドラマ」という男女のバブリーな恋愛を描くのはもう少し後のこと。
「トレンディー・ドラマ」以前にもこうした描写が紋切り型になるくらい多用されていたようです。
若い男女には手の届かないような高級車や高級マンション。
今よりもテレビジョンの影響が絶大だった時代です。
現在では見放されつつあるメディアのテレビジョンですがかつてはお茶の間の真ん中に鎮座していました。
視聴者の欲望や思想をコントロールしていたのですからおそろしいなと思う次第です。
「テレビ離れ」は進みましたが「スマホ依存症」がそれに取って代わっただけ。
テレビジョンに代わってインターネットが欲望や思想を先導する。
結局、本質的な問題は解決されていません。
メディアの幅が広がることはいいことですが細分化されてゆく中で過激な論調が増えるのもおそろしい。
この記事もインターネットを媒介としていますので自省を込めてそのおそろしさを感じたいものです。
「欲しいものは全て スマホの中」
それでは「MONEY」の時代と同じ悪夢です。
簡単に欲望や思想を左右されない意識の強さのようなものがいつの時代にも求められるのでしょう。