「前略、道の上より」は何を伝えたか
若々しい人生哲学の高揚
1984年6月25日発表、一世風靡セピアのデビュー・シングル「前略、道の上より」。
路上パフォーマンスが盛んだった時代の先駆者・劇男一世風靡の歌ユニットである一世風靡セピア。
彼らのテレビメディアでの登場に女性たちの視線が釘付けになりました。
「絵になる男たち」、一世風靡セピアですが楽曲の方も本格的なものです。
作詞は一世風靡セピア、作曲はGOTO名義で分かりづらいですがヒットメーカーの後藤次利です。
「素意や」の掛け声とともに迫力のある男性コーラス。
何もかも男らしさを貫いた彼らは時代錯誤でアナクロニズム的な要素が受けたのかもしれません。
時代の流れは女性たちの存在感が社会で際立ってゆく過程です。
そうした時代で一世風靡セピアが受け入れられたのはなぜなのか。
歌詞に読み取れる人生哲学を紐解きながら解説します。
それでは実際の歌詞を見ていきましょう。
素意とは何か
掛け声だけではなかった
素意や 素意や~
出典: 前略、道の上より/作詞:セピア 作曲:GOTO
ソイヤソイヤで有名な掛け声。
気合を表現する以外の意味があることはあまり知られていません。
「素意」
この言葉は人が元々抱いていた思いや願いのことを指します。
「前略、道の上より」は人生そのものへの問いかけですから、この「素意」という言葉を掛け声にしたのです。
この曲の奥の深さを裏付けるもの。
一方で言語の肉体化のようなテーマも携えています。
当然、音楽の肉体化にも一役買っているのです。
歌謡曲ベースの楽曲ですが、音楽にとっての現代的なテーマを潜ませています。
彼らがパフォーマンス集団であることが、そのパフォーマティブな音楽性にも影響を与えました。
中々、侮れない作品になっています。
花の命はなぜ美しい
一回性の生命だからこそ
咲きほこる花は散るからこそに美しい
散った花片は 後は土へと還るだけ
出典: 前略、道の上より/作詞:セピア 作曲:GOTO
有名な歌い出しの歌詞です。
圧倒的な男性コーラスに驚かされます。
生命につきものの死との対峙。
もしくは生命の一回性への問いかけ。
歌われるのは花の一生ですが、当然に人の生き死にについて語っています。
死んだ生命も後の生命のための肥やしになるということも歌うのです。
人の一生はいずれ老いて死ぬからこそ若さが固有の輝きとして記憶されます。
老いるにしても最後に様々な情欲を洗い流した、精神的に一際美しい姿にも目を向けたいです。
死があるからこそ生命というのはその稀少さが際立ちます。
一世風靡セピアの主要メンバーはこのとき20代前半です。
一番美しく輝くそのときではありますが、一方で若くして老成した思想を抱えていたことも素晴らしい。
アイドル的人気でしたが、当時主流であったジャニーズ系のアイドルとはまったく違う魅力でした。
もっと硬派な印象が愛されたのです。
そのパフォーマンスが支持されたのかもしれません。
一方でこの歌い出しにある生ける花と散る花とのコントラストも一瞬にしてリスナーの心をつかみました。
王道をゆく決意
それならば一層 斜めを見ずに
おてんとうさんを 仰いでみようか
出典: 前略、道の上より/作詞:セピア 作曲:GOTO
人間もあらゆる生命もやがて息絶えるときが来ることを見ました。
その死生観を得て思うことは物事を斜に構えて捉えることのカッコ悪さです。
王道を行くように太陽を仰ぎ見る仕草の方が男らしくあるだろうと歌います。
潔さこそがカッコいい男の生き様であるという想い。
一世風靡セピアにしても母体の劇男一世風靡にしてもメンバーは男性しかいません。
こうした硬派な在り方を「売る」際に彼らは女性へとターゲットを向けました。
旧いバンカラ的な価値観だけではない1980年代の市場傾向と見合うような柔軟性も実際にはあったのです。
花と太陽の話題で歌い出しを埋めたこともどこか女性たちの需要に合う側面があります。
しかし大事なことはこうした人間存在の本来的な死生観には男と女で分けられるものではないということ。
同じ人間であるならば皆、どこかで胸に響くような歌詞を自然に紡いでいました。
物事をその王道から見てみる。
ひねくれたものの考えをやめてみる。
そうすることで太陽の下を超然と歩いてゆけるような人物像が生まれました。