絶えず君のいこふ 記憶に夏野の石一つ
俯いたまま大人になって
追いつけない ただ君に晴れ
口に出せないまま坂を上った
僕らの影に夜が咲いていく
出典: ただ君に晴れ/作詞:n-buna 作曲:n-buna
この部分の最初のフレーズは、明治の俳人・正岡子規の俳句が基になっています。
基の句は"絶えず人いこふ夏野の石一つ"というもの。
"たくさんの人が絶えず憩いに訪れる、夏の野原に在る一つの石"に焦点を当てた俳句です。
歌詞の中では"記憶の中に在る石に、絶えず君が憩いにくる"といったニュアンスになっています。
記憶の中にしか<君>が居ない日々の中で、<僕>は前を向けないまま大人になって、<君>の傍にすら行くことができません。
そんな<君>に捧ぐ言葉が<晴れ>。
これには「天晴れ」(あっぱれ)という言葉を思い出さずにいられません。
今では賞賛を示す「天晴れ」という言葉には、その昔、悲哀や哀れという意味も込められていたと言います。
こんな風に言葉が移り変わってきたという事実。
それ自体が『昔は悲しんでいたけど、今はただ思い出に浸っている僕』の心情を物語っているようです。
<僕>はそのまま受け入れる、だけ
俯いたまま大人になった
君が思うまま手を叩け
陽の落ちる坂道を上って
僕らの影は
追いつけないまま大人になって
君のポケットに夜が咲く
口に出せなくても僕ら一つだ
それでいいだろ、もう
君の想い出を噛み締めてるだけ
出典: ただ君に晴れ/作詞:n-buna 作曲:n-buna
夕暮れ時、太陽は西に向かって高度を下げていきます。
<僕>らはそれとは真逆、高い場所に向かっていることが読み取れます。
太陽が低くなれば影は長く伸びるはずなのですが、太陽とは真逆、坂を上る彼らの影はどうなるでしょうか。
坂の向こう側に太陽が沈むなら、彼らの影はとっくに消えているはずです。
もし彼らの背中側に太陽があれば、とある角度までは長い影ができているでしょう。
しかし太陽は西に消えていきます。そうすると影も消えてしまいます。
そこにあった影は、彼らがどこにいようが何をしようが必ず消えてしまうのです。
歌詞では影が「どうなった」という部分に言及せず、その先をリスナーに読ませるような切り方をしています。
視線を落として歩く最中、たしかに2つの影が伸びていました。
例えば「坂」が経過年数を示すとしましょう。
年月が過ぎるごとにその影はあやふやになっていくことを示しているのではないでしょうか。
アスファルトのグレーと影の黒、それが夜の黒に飲み込まれてしまえばもう、2人の影は輪郭すら残さず消えてしまうのです。
<僕>の心の闇は、<君のポケット>だけでなく、<僕らの影>にも反映されています。
心が明るくなれないまま、大人になってしまった<僕>。
だけど、重要なのは<僕>が心の闇に苦しんでいるわけではないということです。
<君の思い出を噛み締めてる><だけ>という表現には、そこに余計な意味を付けない強い意志を感じるから。
「寂しい」とは違う。
「切ない」とも違う。
<君>との思い出を1つ1つ大切に、じっくり思い出している<僕>の姿が<僕ら一つだ>というフレーズからも見て取れるのです。
だけど、その想いを聴く第三者である私たちは、やっぱり「切ない」ですよね。
この歌を聴くことで、私たちは<僕>のひたむきさに影響を受けて、切ない気持ちが引き出されてしまったのかもしれませんね。
それはまるで、匂いを嗅いで記憶を引き出されるのと同じように。
二つが溶けて一つになる
「一つ」という表現はもしかすると、消えてしまった影を歌っている可能性もあります。
それまではくっきりと見えていた二人の影が闇に溶け、一つになる。
そもそも追いついていないのに一つになれるはずがありません。どういうことなのでしょうか。
年令を重ねても追いつけない理由として考えられるのは、追いかける速度より相手の進みが早いから。
そしてもう一つ。もはやそこに存在しないから、この世に存在しないから。
歌詞全体を通して考えると後者である可能性が濃厚です。
歌詞に出てくる「ポケット」には何が入っているかというと「想い出」なのでしょう。
想い出をポケットに詰め込む、というような表現が使われることがあります。
本来は二人の想い出がそこに沢山詰め込まれていたはずです。
でも年月というのは記憶を薄れさせる魔力を持っています。
覚えておきたいと願っている想い出さえも霞ませるのです。
じわじわと消えるというより、この歌詞の表現だと一気に消えるイメージですね。
歌詞の冒頭にあった「月が爆ぜる」という表現によく似ています。
考えてみれば我々の記憶は10あるうちの9、8、7…と消えていくわけではありません。
ふとした瞬間「あれ、何だったっけ」という恐ろしい消え方をするものです。
ここで注意したいのはポケットの持ち主が誰なのかという点でしょう。<僕>ではなく<君>なのです。
時が止まったままの<君>には新しい想い出が生まれません。
それどころか<僕>が歳を取るたびに<君>の想い出の中の<僕>との乖離が大きくなます。
ポケットの中の<僕>が存在していたことすら疑わしくなるでしょう。
<君>は<僕>を認識できなくなります。想い出は想い出としての形を失い、闇に飲まれていくのです。
<僕>は<君>との想い出を忘れたくない、という気持ちはもちろんあるのでしょう。
しかし一方で「忘れたくても忘れられない」のかもしれません。
<君>は感傷に浸る間もなく自分のことを忘れてしまったかもしれないけれど<僕>は違います。
いっそ忘れることができれば楽なのでしょう。でも<君>のように、想い出が爆ぜてはくれないのです。
自分だけが忘れられずにいる。つまりこれもまた「追いつけない」状況だと表現できます。
「だけ」に込められた意味
この曲の歌詞で印象的なのは「だけ」の使い方です。「だけ」が隔離されています。
特にイントロと1番のサビは歌唱・歌詞の記載ともに「だけ」が前の歌詞と離れているのです。
曲の最後は歌詞だけ見れば普通ですが、歌唱面で「だけ」が離れています。
最初の二つは「それだけのことだから」というような照れ隠しや誤魔化しのニュアンスです。
君のことをふと思い出してしまうけれど、別に泣きたくなるわけでもない。
一人でいるしかないと思っているし、誰にも何にも期待していない。ある種「強がり」を表現しているといえるでしょう。
一方で曲の最後の「だけ」は印象が違います。こちらは「それしかできない」というニュアンスを汲み取りました。
二人で同じ想い出を持っていたはずなのに、気付けば<僕>だけが持つ想い出が多くなっています。
いっそ忘れられたら楽なのに忘れることができず、思い出す度にその時の光景が思い浮かんでしまうのでしょう。
それを幾度となく繰り返すことしか<僕>にはできないのです。
どちらが幸せなのか、それは<僕>が決めることかもしれません。
しかし想い出に縛られたまま前に進めずにいる印象を受けます。
忘れてしまう苦しみと、忘れることができない苦しみ。
人間の記憶と感情は本当に複雑で、思い通りにコントロールすることなど到底不可能だということなのでしょう。
「ただ君に晴れ」のMVを徹底検証!
心がざわつく意味深なMV
こちらが2018年5月4日に公開された「ただ君に晴れ」MVです。
この動画は公開から10日ほどで、なんと100万回再生を達成!これはヨルシカ史上最速の記録だそうですよ。凄いですね。
内容は、顔が<夜>に隠れた女子高生が海辺や町をステップ踏んで歩くというもの。
"顔が見えない"というのは意味深ですよね。これは<僕>の思い出の中の風景なのだと思います。
だとすれば、間に挿入されている都会の光景は、現在の<僕>が住んでいる街並みなのでしょう。
否応なく思い出される<君>の記憶の中で、表情だけがスッポリと抜けている、という事実。
『あの日海へ行ったとき、
町を歩いたとき、
<君>はどんな表情をしていたんだ?』
もし<僕>がそんな想いを噛み締めているなら……。想像するだけで、胸が苦しくなってしまいますね。
最後に:「ただ君に晴れ」CD収録情報
ヨルシカの「ただ君に晴れ」はいかがでしたか?
夏を感じさせる匂いや光景から思い出される記憶と、それに対する<僕>のひたむきな想いが切ない1曲でした。
この曲は、2018年5月9日にリリースされたミニアルバム『負け犬にアンコールはいらない』に収録されています。
オリコン週間ランキング5位を記録したこのアルバムには、MV再生回数200万回を突破した「ヒッチコック」など合計9曲を収録。
今、まさに話題のアルバムですよ!皆さん、ぜひチェックしてみてくださいね♪。
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