ビートルズ解散に際してジョンとの不仲が取り沙汰されたポール。
しかしこれは「作り上げられたもの」とポールはインタビューで答えています。
「まわりがあまりにもそういうものだからいつの間にか自分でも仲が悪いと思い込んじゃったんだ」
マス・メディアの喧々諤々の議論が彼の心を蝕みます。
でも「アビー・ロード」製作時にジョンと楽しそうに談笑する自分の写真を見て色々な記憶が蘇りました。
この写真は彼の宝ものなのでしょう。
17歳の多感な時期に出会いお互いを刺激しあい連名で合作してきた相方です。
仲がいいか悪いかなどは当事者だけが決めること。
メディアはこの話題を金輪際持ち出さない方がいいでしょう。
ビートルズ解散後のポール
「ビートルズを超えていない」という声
解散後のポールは作品を発表するごとに「いい作品だけれどビートルズには及ばない」と評されます。
またどういう訳かときどきピントの外れた失敗作も発表してしまうのです。
ポール・マッカートニーやウィングスの作品を買い求めるときは事前にリサーチしてください。
ビートルズの幻影によって解散後のポールやジョンの作品は過小評価されがちです。
しかしジョン・レノンが狂信者ポール・チャップマンに撃たれて死亡すると環境が変わります。
ジョンの死に衝撃を受けたポールは数ヶ月もの間自宅に閉じこもりました。
それほどかつての友人の死はポールを傷ませます。
その呪縛を解いたのがスティービー・ワンダーとのコラボ曲「エボニー・アンド・アイヴォリー」です。
エボニーはピアノの黒鍵、アイヴォリーはピアノの白鍵。
並び合う白と黒の連鎖でこの世界に音楽が生まれるんだ。
黒人差別問題に鋭く切り込む歌詞とふたりの伝説的なシンガーによるデュエットに世界が酔います。
またポールはマイケル・ジャクソンとの共作も遺しています。
「Say Say Say」などが大ヒットしました。
このページにリンクを貼りましたので改めて聴いてみてください。
ポール・マッカートニーは生き続けてくれることでジョン・レノン神話を超える日が来るかもしれません。
これからの期待を込めてまだまだ上を狙える第2位にポール・マッカートニーを推します。
第1位 ジョン・レノン
シャウトで世界を変えた男
ジョン・レノンしかいません。
最後に残ったのはこの人だけですから後は1位に推した理由を書くだけです。
まず「ビートルズ旋風」の主役はこの人だったといい切れる要因があります。
ジョン・レノンは「1/f ゆらぎ(えふぶんのいちゆらぎ)」の声の持ち主でした。
「1/f ゆらぎ」の声の人は聴覚にダイレクトに声を届けることができます。
アナウンサーや声優などに多い声質です。
ジョン・レノンが「1/f ゆらぎ」の声でアナログ・ラジオのスピーカーをダイレクトに揺らしました。
雑音と呼ばれたくらい当時のバック演奏はローファイで分離がなされていない音だったはずです。
その中でジョン・レノンの声だけがスピーカーを突き抜けて人々をシェイクした。
ジョン・レノンのシャウトがなければ「ビートルズ旋風」は起きなかったでしょう。
最初の一撃を開けたのはサウンドよりもロックしているジョンの歌声だったのだと想像します。
ブレイク・スルーしたその先にもジョン・レノンの功績はいくつもあるのです。
まず「HELP!」でロック史上初めて個人的な叫びを普遍的なメッセージソングに昇華させました。
中期にはアルバム「ラバーソウル」で「In My Life」を披露します。
この歌詞はそれまでのビートルズの楽曲には見られない表現方法を用いました。
追憶の日々を歌い上げて、なおかつ目の前の恋人への愛を歌うこの歌詞は「詩」の領域に昇華しています。
またポールが主導したコンセプト・アルバム「サージェント・ペパーズ」でもラストはジョンの曲。
ポールもブリッジ部分を担当しますが「A Day In The Life」の大半はジョン・レノンの作詞作曲。
これほど深く人生を考察した歌詞はロックの世界では前代未聞でしょう。
こうしてロックの歴史の節々で重要な役割を果たして新しい価値観や文化を先導したのがジョン・レノンです。
ポールも作曲面では超がつく天才です。
ただし昨日までを捨て去ってしまうくらいの価値の転換を呼ぶのはジョンの役割だったように思えます。
「All You Need Is Love」で用いたダブル・ミーニングの妙。
これらの特色はポールにはなかったものです。
どちらが優れているという不毛な議論は置いて、どちらが新しい文化を率いたかで第1位と2位が分かれました。
ビートルズ解散後のジョン
シティ・ロックの発明
ジョン・レノンもポール・マッカートニー同様、解散後にビートルズを超えられたかは分かりません。
アルバムを発表するごとに「またビートルズを超えられない」といわれます。
しかし、アルバム「マインド・ゲームス」などで聴くことができるシティ・ロックはジョンの発明です。
今、そのモダーンな音楽を振り返って聴くとその先進性に戦慄します。
このシティ・ロックの発明はアナログ時代には気付きづらかったのです。
ジョンがわざと自分のボーカルを下げてミックスしていました。
しかしジョンの死後、オノ・ヨーコが修正したリマスター版のCDで初めて全貌を確認できました。
あのシティ・ロックは現代でも通用するモダーンさを持ち合わせています。
「イマジン」は地球の詩
また誰もが認めるのが「イマジン」の存在です。
2001年9月11日、ニューヨークを襲った同時多発テロ。
このときニューヨークの街で坂本龍一はこんなときは音楽を自粛するべきではないかと悩んでいました。
しかし街頭で「イマジン」を弾き語る黒人シンガーの歌に感動します。
忘れかけていた音楽の力を再発見したのです。
「イマジン」はそれほど地球的な愛をテーマにした作品で世界が不安でひび割れる瞬間にこそ美しく響く。
理想家の夢を分かりやすく歌にしたこの曲はジョンの死後にヨーコとの共作と認められます。
経緯が知りたい方はまずオノ・ヨーコの「グレープフルーツジュース」という詩集を読んでみてください。