TVアニメ「シュタインズ・ゲート ゼロ」のオープニングテーマ
TVアニメ「シュタインズ・ゲート ゼロ」とは、タイムトラベルを題材とした物語です。
本作では、その前作であるTVアニメ「STEINS;GATE」のある地点から分岐した世界が描かれていました。
「ファティマ」の歌詞の中には、上記2つのアニメに関する言い回しが多数含まれています。
アニメを視聴せずに「ファティマ」を真に理解することは困難です。
ここからは重要なネタバレを含みますので、アニメを視聴した上でご覧ください。
2つの意味
洗脳によって作られた世界
この世界は非現実
ただ刷り込まれたビジョン
無限遠点 価値観を今 上書きする 変哲の無い宇宙
傲慢な神は 目に映らない 光速度で 支配続けるならば
出典: ファティマ/作詞:志倉千代丸 作曲:志倉千代丸
「ファティマ」は、カチカチという秒針の音から曲が始まります。
タイムトラベルを題材とした物語のオープニングにふさわしい幕開けといえるでしょう。
上記の歌詞は、少女が悪役に洗脳されるさまを表していました。
本作「シュタインズ・ゲート ゼロ」には、タイムマシンの強奪をもくろむ悪役が登場します。
その悪役は、過去の自分がタイムマシンを手に入れられるように未来であることをしました。
それこそが、タイムマシンに乗る少女の洗脳なのです。
洗脳された少女が過去の自分に、未来の自分の計画を伝えることで完成される壮大な計画といえるでしょう。
無限遠点(むげんえんてん、point at infinity)とは、限りなく遠いところ(無限遠)にある点のことである。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/無限遠点
3行目の歌詞は、遥か遠い未来にいる悪役が少女の思考を書き換えることを意味しています。
自分が望む過去に改変しようとしているさまは、まさに「傲慢な神」そのものです。
4行目の歌詞は、その悪役が少女を意のままに操っていることを意味していました。
ですが、それは未来から過去に遡って行われた行動です。
そのため、現在を生きる人々は悪役の所業に気付くことができませんでした。
上記の歌詞は、このようにTVアニメ「シュタインズ・ゲート ゼロ」の内容を忠実に再現しています。
死の運命からは逃れられないと思い込んでいた世界
上記の歌詞はあくまで「シュタインズ・ゲート ゼロ」のみに焦点を当てて解釈したものです。
ですが「シュタインズ・ゲート ゼロ」は「STEINS;GATE」の続編であることを忘れてはいけません。
「ファティマ」が上記2つのどちらも象徴する楽曲ならば、この歌詞にはもう1つ別の解釈が可能です。
「シュタインズ・ゲート ゼロ」とは、そもそも主人公・岡部倫太郎のある選択が生んだ世界です。
β世界線に戻った岡部は、過去に戻り紅莉栖を救う好機を得たものの、世界線の収束という巨大な壁を前にして紅莉栖の救済を諦めてしまった。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/STEINS;GATE_(アニメ)
「STEINS;GATE」で岡部は大きな選択を迫られました。
幼馴染である椎名まゆりは生きているが、自分が恋した少女・牧瀬紅莉栖が殺された世界。
牧瀬紅莉栖は生きているが、幼馴染の椎名まゆりが殺されてしまう世界。
一方を助ければもう一方は必ず死んでしまう…その果てに、岡部は紅莉栖を救うことを諦めてしまいます。
つまり「シュタインズ・ゲート ゼロ」とは、両者を助ける方法はないと岡部が思い込んでしまった世界なのです。
これを踏まえて考えると、上記の歌詞には別の解釈が成り立ちます。
1行目と2行目は、紅莉栖を助ける方法がないというのはただの思い込みだということを表していました。
それに気付いた岡部が、再び紅莉栖を助けるために立ち上がったことを意味しています。
4行目の歌詞は、何度あらがってもまゆりも紅莉栖も死んでしまう運命を表していました。
つまり「神」という言葉は、逃れられない死の運命という意味で使われています。
このように、上記の歌詞は2通りの解釈が可能となっていました。
どちらの解釈でも、岡部が未来のためにあらがうことを決めたことに違いはありません。
唯一の存在
僕は 僕だけは 奇跡的で 致命的な
マイノリティでいい
出典: ファティマ/作詞:志倉千代丸 作曲:志倉千代丸
岡部だけは、世界線を移動しても今までの記憶を失いません。
その記憶を元にさまざまな策を講じることができるので、未来を変えたいと願う人々にとっては希望です。
反対に悪役にとっては自分の成功を脅かす存在、致命的なバグともいえるでしょう。
この歌詞は、そんな仲間にとっての希望、悪役にとっての脅威であり続けるという宣言を意味していました。