今作、実は1996年4月にも一度発売されています。

カップリングの内容などは違いますが、「悲しみの果て」自体にはそれほど大きな違いはない作品となっており、再発売によってスマッシュヒットが更新されました。

今回は11月発売版を軸に解説していきたいと思います。

この頃、タイアップとしてグリコ「アーモンドチョコレート」のCMソングに決まりました。

この曲が「悲しみの果て」である理由

エピック・ソニーとの契約を打ち切られた彼らは、一度はメジャーの舞台から姿を消しました。

エピック・ソニーは巨大なレーベルであり、業界内でも大きな力を持っています。

さらにデビューから育ててくれた場所でもあったはずです。

だからこそ、そんなレーベルとの契約が打ち切られるということは、エレカシにとって、単なる契約打ち切りよりも大きな意味を持っていたであろうことは想像に難くありません。

そんな辛い時期を乗り越え、級友や知人の助けもあり辿り着いた新たな場所で生み出した曲のタイトルが「悲しみの果て」。

この楽曲のパワーは、重みは、そんな経緯から生み出されたものに他なりません。

歌詞

それでは歌詞を見ていきましょう。

短い曲ではありますが、選ばれた言葉の重みに唸ります。

悲しみの果て?

悲しみの果てに 何があるかなんて 俺は知らない 見たこともない
ただ あなたの顔が 浮かんで消えるだろう

出典: http://j-lyric.net/artist/a001cc9/l00cb87.html

この楽曲、多くの人が「悲しみの果てから立ち直るヒーローのような男の物語」を受け取っているのではないでしょうか?

事実、エレカシはそんな強い男の曲を沢山生み出してきました。

しかし、本当にこの曲もそんな曲の中のひとつでしょうか?

冒頭、はっきりと示されています。

「悲しみの果てに何があるかなんて俺は知らない」と。

この曲は、まさに悲しみの最中に描かれたものではないでしょうか?

苦しくて悔しくて悲しくて、抜け出せない感情の渦からひねり出したような、そんな悲痛な歌詞に思えてなりません。

何も知らない、いつもの俺

涙のあとには 笑いがあるはずさ 誰かが言ってた 本当なんだろう
いつもの俺を 笑っちまうんだろう Oh yeah…

出典: http://j-lyric.net/artist/a001cc9/l00cb87.html

涙のあとの笑いと聞くとひとは、悪い事のあとには良いことがやってくるだとか、どん底なら上るだけだとか、ポジティブなことを想像します。

しかしこの歌詞は違います。

笑うのは「いつもの俺」なのです。

本当の悲しみなんて知らずに、でかいことを言ってたものだ、恥ずかしいやつだな。

そんな嘲るような、悲しい笑いなのです。

悲しいからこそ

部屋を飾ろう コーヒーを飲もう 花を飾ってくれよ いつもの部屋に

出典: http://j-lyric.net/artist/a001cc9/l00cb87.html

本当に辛い時、わざと平気なふりをする。

そんな経験はありませんか?

わざと笑ってみたり、虚勢を張ってみたり、そうでもしないと今にも悲しみに押しつぶされそうになるから。

一度泣き崩れてしまえば、もう二度と立ち上がれないような気さえするから。

大丈夫?なんて聞いて、心配しないでほしい。

明るく振る舞って、まるで良いことがあったみたいに花を飾って、そうやって悲しみから目を背けさせてほしい。

悲しみの果てに 何があるかなんて…oh yeah
悲しみの果ては 素晴らしい日々を 送っていこうぜ oh Baby!
Ah… 悲しみの果ては 素晴らしい日々を 送っていこうぜ oh yeah…

出典: http://j-lyric.net/artist/a001cc9/l00cb87.html

この悲しみの果てに、何があるか分からない。

もしかしたら二度と立ち上がれないような絶望しか残っていないのかもしれない。

それでも、例えば虚勢だったとしても、素晴らしい日々を送っていこうって歌わせてくれよ。

そんな、精一杯の歌声が耳に響いて離れません。

この曲の、祈るような歌声が、こんなにも涙を誘うのは、この曲があまりに悲しいからでしょうか。

最後に

いかがだったでしょうか?

たった2分半と少しのこんなに短い曲に、心を打たれる背景には、こんな事件があったよう。

この楽曲が、他の誰にも歌えない、エレカシだけの曲だ!と感じるのは、辛い想いをして生み出した、まぎれもない本音の歌だったからなのでしょう。

今後、彼らが生み出す楽曲に希望があることを、願ってやみません。