縮こまる心は
あたしはトラブルを抱えていて
酔っぱらいを乗せるのは 誰だって嫌だよね
こんなふうに道の真ン中で泣いてるのも 迷惑だよね
だけどあたしは もう行くところがない
何をしても 叱ってくれる人も もう いない
出典: タクシードライバー/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
この辺りであたしが虚ろだったり泣き始める理由が分かりやすく暗示されます。
あたしはまず運転手への感謝のような気持ちを表現するのです。
この辺りの細かいニュアンスで補足しておかないといけない時代背景があります。
「タクシードライバー」の頃、タクシーは素直には乗客を拾ってくれませんでした。
経済が好調だったという事情があったのかもしれません。
とにかく遠距離や羽振りのいい乗客でお金を稼ぎたいという気持ちが運転手のスタンダードです。
また一般的な感性では近距離ならば自分で歩かないといけないという気持ちがあったのです。
さらにいえば近距離でのタクシー利用は運転手に申し訳ないとも思っていました。
このお客様なのに運転手に申し訳ないという思いはあたしも抱いています。
あたしは自分の涙というもので運転手が引くことを心配しました。
タクシー運転手が自分を拾ってくれるだけでもありがたいなどと思ったのです。
運が悪ければこのケースでも何かしらのトラブルが起きていたかもしれません。
中島みゆきと民衆への眼差し
申し訳ない思いは重々承知なのですが、あたしはもうひとりでは立っていられないくらいの状況です。
ライブ会場(コンサートやリサイタルと呼んでいました)でアルコールを摂取しすぎました。
あたしは酔っていないとやっていられないくらいの切なさや悲しみに暮れていたのです。
もう会うべき人というものをあたしは思いつきません。
そんなあたしのダメさ加減について説教してくれるような人だっていなくなりました。
ここのところのあたしに何があったのかはもう明白でしょう。
愛する人に捨てられたという状況が見えてきます。
この頃も中島みゆきの作風はバラエティに富んでいて、またバランスというものがきちんとありました。
決して「わかれうた」歌いだけのアーティストではありません。
心が温まるような楽曲も多かったです。
「タクシードライバー」を収録したアルバム「親愛なる者へ」には神曲「狼になりたい」も収めらます。
いかにこの時期でも彼女の創作というものが神がかっていたのかを痛感させられるでしょう。
「タクシードライバー」と「狼になりたい」には共通するテーマがあるかもしれません。
不幸せなときに温めてくれる苦労を知った人たちを主人公以外に登場させています。
民衆というものにきちんと目を向けて人間を描いているのは彼女の作家としての骨なのでしょう。
どこにいてもひとり
ギルバート・オサリバンの歌が沁みる
車のガラスに額を押しつけて
胸まで酔ってるふりをしてみても
忘れたつもりの あの歌が口をつく
あいつも あたしも 好きだった アローン・アゲイン
出典: タクシードライバー/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
あたしはアルコールにも酔いきれません。
そもそも心配ごとや不安があるときにお酒でごまかそうとしても無理なのです。
むしろ不安や悲しみが増幅してしまって泣き崩れてしまうのがあたしの現状です。
車内で窓ガラスにもたれながら思い出すのはギルバート・オサリバンの歌でした。
「Alone Again」は最愛の母を失って、悲しみに沈み自殺の意志さえ仄めかす歌です。
あたしとあいつの破局とは事情が違うのですが、またひとりきりだという思いは共通しています。
ふたりは幸せだった時期にこの悲しい歌「Alone Again」を愛していました。
まさか自分の境遇が同じようになるなんて幸せな頃には思いもしません。
ヒット曲というのはこのような形で自分の中で特別な意味が加わってくるものなのでしょう。
また、この曲「タクシードライバー」に自分の経験を重ねて特別な歌だと思っている人もいるでしょう。
つい「タクシードライバー」の歌い出しやサビの歌詞が自分の口からも漏れてきた人だっているかも知れません。
いまのあたしはどのような心境で「Alone Again」を歌うのかと思うと切なくなります。
中島みゆきと「泣く女」たち
ゆき先なんて どこにもないわ
ひと晩じゅう 町の中 走りまわっておくれよ
ばかやろうと あいつをけなす声が途切れて
眠ったら そこいらに捨てていっていいよ
出典: タクシードライバー/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき
もうあたしにはどこにも居場所がありません。
どこにも停泊する港のようなものがないあたしはタクシー運転手と街なかをナイト・クルージングします。
宛のない人生というもの、こうしたときに話しかけるべき友人もいないのだとしたら酷すぎでしょう。
幸い一晩、街なかを彷徨う分のお金はありました。
無賃乗車という訳ではありません。
運転手にしてみれば気味の悪い客には違いないでしょう。
しかしあたしはこの運転手が苦労してきた人であることを見抜きました。
苦労した分だけ乗客に優しくできる心がある特異な人物であることに感謝します。
その一方であたしの身体に浸透したアルコールは邪険になるのです。
できることならばあいつへの黒々とした思いをぶちまけたいくらい。
しかしあたしはそう思うだけで、ただ泣いていたのでしょう。
「泣く女」というものをこの頃の中島みゆきは盛んに描きました。
いまでは男性のために「泣く女」というのは前時代的な表現だとして封印されます。
代わりに台頭したのが別れ際で「泣かない女」、つまり「強い女」という描き方です。
もう時代が変わったということなのでしょうし、彼女自身の作家としての円熟というものが影響します。
ただ、「泣く女」とひとくちで片付けて、「タクシードライバー」は時代にそぐわないともいえません。
まだまだジェンダー・ギャップというものは深刻な社会問題でしょう。
「泣く女」どころか「泣かされる女」という悲劇は絶えることがないです。
「タクシードライバー」はまだまだリスナーの要求や需要を満たしてくれます。
最後に 主人公は優しい心
タクシー・ドライバー 苦労人とみえて
あたしの泣き顔 見て見ぬふり
天気予報が 今夜もはずれた話と
野球の話ばかり 何度も何度も 繰り返す
タクシー・ドライバー 苦労人とみえて
あたしの泣き顔 見て見ぬふり
天気予報が 今夜もはずれた話と
野球の話ばかり 何度も何度も 繰り返す
出典: タクシードライバー/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき