もうどうにもとまらない!!
1972年の楽曲!
昭和歌謡界の艶やかな花、山本リンダさん。
彼女の代表曲の一つ『どうにもとまらない』をご紹介します。
リンダさんはこの曲で、紅白歌合戦に2度目の出場を果たしました。
また、『米米CLUB』がライブで定番曲としてカバーしていることで知られています。
自由な女性を歌った歌詞は当時からインパクト抜群でした。
今回はこの歌詞を中心にご紹介させていただきます!
まずは曲を聴いてみましょう!
1972年紅白歌合戦の映像!
激しいダンスに目を奪われてしまいます!
ブリトニー・スピアーズも真っ青なへそ出しルック!
お腹が引き締まっていてスタイル抜群なリンダさんが観られますよ。
当時21歳だったリンダさんですが、大人っぽい魅力があります。
バックバンドは「ダン池田とニューブリード」。
ラテン・パーカッション奏者であるダン池田さんがリーダーです。
パーカッションが加わったことでより情熱的なアレンジになっていますね。
YouTubeのコメントで「ビヨンセに対抗できるのはリンダしかいない!」というコメントがありました。
当時のリンダさんなら、冗談ではなく本当に対抗できそうなパワフルさです!
リンダさんの激しいダンスと共に歌を歌うスタイルは当時「アクション歌謡」と呼ばれていました。
今日のモーニング娘。やももいろクローバーなどアイドルが歌って踊るスタイルの元祖かもしれません。
いずれにしても大胆な衣装と歌詞、そしてその美貌でリンダさんはお茶の間に衝撃を与えたのです。
再ブレイクきっかけの曲
清純派でデビューしたリンダさん
リンダさんは15歳の時に『こまっちゃうナ』という曲でデビューしました。
「初めてデートに誘われてとまどう女の子」を歌った曲です。
そう、初めは今でいう「ぶりっ子」キャラで売り出していたのです!
リンダさんはセクシーなイメージが強いので、とても意外ですよね。
『こまっちゃうナ』で1967年の紅白に出場も果たしています。
しかし、それ以来ヒットには恵まれませんでした。
その後、事務所を移籍して初代『仮面ライダー』に出演。
『仮面ライダー』がヒットしたことで、歌手とは別の道を歩み始めようとしていたその時…
『どうにもとまらない』という曲と出会います。
作詞・作曲は誰?
作曲者『都倉 俊一』
『どうにもとまらない』の作曲者は『都倉俊一(とくら しゅんいち)』さんです。
山口百恵さんやピンク・レディー、狩人の『あずさ2号』の作曲者として知られています。
昭和歌謡曲を支えた一人と言えるでしょう。
2009年にはリンダさんが都倉俊一さんの曲を歌ったコンセプトアルバムも発売しています。
作詞者『阿久悠』
『どうにもとまらない』の作詞家は昭和のヒットメーカー『阿久悠(あく ゆう)』さんです、
ピンク・レディーの曲では都倉俊一さんとコンビを組んで、多数のヒット作を送り出しました。
故・阿久悠さんはリンダさんを「強烈なイイ女にしたい!」という気持ちで作詞をしたそうです。
「元々イイ女だった」と語っている通り、申し分のない素材を持っていたリンダさん。
まだ20代前半だった若いリンダさんは、阿久悠さんにとってプロデュースしがいのある原石でした。
結果として、『どうにもとまらない』はリンダさんのセクシーなイメージを作るのに大きく貢献。
リンダさんはその後、『狙いうち』もヒットさせ、唯一無二の個性を持った歌手へと変貌を遂げます。
阿久悠さんの計画は大成功だったと言えるでしょう。
それでは、そんな大胆不敵な歌詞を改めて解説していきたいと思います。