君を想うと今日も眠れない
僕ら何処へ向かおうか?あぁあ あぁあ
出典: シャングリラ/作詞:高橋久美子 作曲:橋本絵莉子
笹舟は流れていけばいずれ海にたどり着くでしょう。
川の流れに沿って行けばいずれはどこかへたどり着きます。
しかし人はそうはいきません。
人は川に流されて進むのではなく地面を自ら歩いて行く必要があります。
向かう道を決めるのは自分自身でしかありません。
相手を想うと眠ることができない主人公。
主人公は冒頭の歌詞で笑顔になれない相手をダメな人と言っています。
主人公にもダメなところがあるのではないかと突っ込んでしまいたくなります。
そんなダメな2人の行きたい場所。
それはどのような理想郷なのでしょうか。
道具なんて必要なくて
科学が発達して多くの道具が発明されて人々の生活は便利になっています。
しかしその便利なはずの道具は時として人々の生活を締め付けることも。
旅をするならば荷物は少ないほうが歩きやすいです。
手をつなぐのならば何も持っていないほうがつなぎやすいでしょう。
100回電話するよりも1回手をつないだ方が早かったりもしますから。
確かにつながっている
シャングリラ まっすぐな道で転んだとしても
君の手を引っ張って離さない 大丈夫さ
出典: シャングリラ/作詞:高橋久美子 作曲:橋本絵莉子
ひどく平坦な道ならば危険がないということはなく。
もしかしたら石ころが転がっていてそこにつまづくこともあるかもしれません。
もしそうなったならば手を引いて起き上がらせてつないだまま歩いてく。
手をつないでくれる人が1人いるだけで心持は違ってきます。
たとえ転んだとしても大丈夫だと強く信じることができます。
それはともに歩いているからこそできることです。
つながっていると確かに感じるからこそ歩いて行けます。
道具なんてなくたって手をつなぐことはできますから。
機械越しよりも
あぁあ 気がつけばあんなちっぽけな物でつながってたんだ
あぁあ 手ぶらになって歩いてみりゃ 楽かもしんないな
出典: シャングリラ/作詞:高橋久美子 作曲:橋本絵莉子
ちっぽけな物=流れていった携帯電話のことです。
携帯電話は手軽に相手に連絡が取れる便利品です。
電話でもメールでもLINEでも。
連絡を取る手段なんてそれこそたくさんあります。
しかし、それはかえって重荷に感じることも。
LINEの既読スルーなんてその最たるものではないでしょうか。
持っていると使わなければいけない気持ちにもなってしまいます。
携帯電話・スマートフォンなんて簡単に手から滑り落ちるもの。
なければ生きていけないように思えるけれども実際はなくとも生きていけます。
両手に何も持たず荷物も抱えず歩いて行く。
向かう場所はもしかしたら「君」のところかもしれません。
携帯電話がなければ遠い場所だと連絡はとれない。
ならば自分からすぐ近くまで歩いて行くしかないのです。
機械越しでなく直接会うしか方法はありません。
それに手ぶらならば抱きしめることもたやすいでしょう。
手ぶらの方がしゃんと歩ける
胸を張って歩けよ 前を見て歩けよ
希望の光なんてなくたっていいじゃないか
出典: シャングリラ/作詞:高橋久美子 作曲:橋本絵莉子
携帯電話を落とした経緯はわかりません。
けれども手に持っていたことは想像できます。
もしかすると画面を注視していたのかもしれません。
そうなると視線は自然と下を向きます。
体も猫背気味になってしまいがち。
どうせ歩くならばきちんと前を向いた方がいいでしょう。
そのほうが視界は良好です。
希望の光とは、自分たちを導いてくれる光のことかもしれません。
確かにナビがあれば進む道は見つけやすく迷うことはないでしょう。
しかし、例え導きがなかったとしても歩いて行く分には問題ありません。
迷うのも誰かと一緒ならば楽しいものですから。
信じているからこそ甘えられる
子供は親に甘えます。
それは甘えても大丈夫だと、見捨てないと信頼しているからではないでしょうか。
人はかっこいいところばかりみせたがります。
それでも自分のダメなところも素直に見せられる相手を見つけられたなら、そうあれるなら。
それは幸福なことでしょう。