解釈その2~イエス・キリストの処刑
“いばら(荊)”というと<荊冠(けいかん)>を思い浮かべます。
(※荊冠=いばらでできた冠。頭に乗せると苦痛を伴う。)
これはイエス・キリストが処刑の際頭に載せられたもの。
「荊冠」には宗教的に“受難”の意味があります。
理不尽に磔(はりつけ)の刑に処されたイエス・キリスト。
「いばらの涙」はその悲しみを表す歌なのかもしれません。
最期まで神への愛と信心を失わなかったキリストの想い。
しかしこの考察の中にも火刑シーンは出てきません。
そこでさらに歌詞の状況から考えると、以下の考察もあり得ます。
解釈その3~ジャンヌ・ダルクの火刑
火刑といえば…
天啓を受けて女ながら勇敢に先陣を切ったジャンヌ・ダルク。
最後は異端審問にかけられ残酷にも火あぶりの刑に処されました。
「いばらの涙」にはジャンヌの最期を表す以下のような歌詞が登場します。
・体を火で焼かれるシーン。
・ジャンヌが最後の瞬間まで純潔であったこと(※異論あり)。
・火が回る前に神に救いを求め、ついには神の思し召しにすべてを委ねたこと。
(※歌詞の中の「貴方」=「神」と考えると筋がとおる)
このあたりから、この歌はジャンヌ・ダルク視点の歌であることが予想されます。
hyde氏のLIVE時のファッションからも考察
ジャンヌ・ダルクは男装の麗人であったと言われています。
つまり「ちょうどhyde氏のような外貌だったのではないか」と予想。
事実、とある「いばらの涙」LIVEの際のhyde氏のファッション。
それはまさに“女装の麗人のよう”だったことがありました。
<この歌はジャンヌ・ダルクに捧げる歌だった。>
そう考えると、純白の羽根のような衣装に身を包んだhyde氏の意図も説明がつきます。
中性的な美貌をたたえたhyde氏。
ジャンヌ・ダルクの化身としての登場だとしても違和感はまったくありませんね。
もしそうならhyde氏はジャンヌの生涯をリスペクトしているのかも。
もしくは彼女への鎮魂歌とも捉えられるかもしれません。
まとめ・「いばらの涙」歌詞から読み取れるもの
いろんな立ち位置からの“涙”
この「いばらの涙」の歌詞の主人公は誰だったのか。
誰の視点で描かれた光景だったのか。
ここまでの3つの独自考察をまとめてみます。
(1)いばら姫の登場人物たちによる視点。
(2)イエス・キリストの視点。
(3)ジャンヌ・ダルクの視点。
これらを混ぜ合わせて作られた歌詞。
そんなふうに思えましたがいかがでしょうか。
それぞれの視点でこの歌の歌詞を眺めてみると、よりこの楽曲が奥深く味わえます。
“いばら”という植物の哀しさ
それにしても“いばら”という植物は哀しいものです。
“いばら”の棘(とげ)に罪はありません。
ですが人を傷めつけたり拒んだりする象徴として扱われる…。
そんな意味を勝手に与えられて“いばら”自身も哀しいかもしれませんね。
つまり「いばらの涙」というタイトルはいばら自身の哀しみをも表しているのかも?
また“いばら”という語句には以下のような意味もあります。
バラの古称。ノイバラ、テリハノイバラなど、バラ属の植物。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/いばら
“いばら”は薔薇のことでもあるのですね。
つまり“いばら”は厳しい責苦の意味とともに美しい荘厳さをも持ち合わせている。
美しいのに哀しい存在。
そういえばL'Arc~en~Cielの歌にはよく薔薇が登場します。
“いばら”にはL'Arc~en~Cielの世界観にも通じるものがあると思いませんか?