RADWIMPS
RADWIMPSはボーカル/ギターの野田洋次郎がほとんどの楽曲の作詞・作曲を行なっている日本のミクスチャーバンドです。
高校生にしてインディーズアルバム「RADWIMPS」を2003年7月1日にリリースします。
次に、現在のメンバーで2005年3月8日に2ndアルバム『RADWIMPS 2 〜発展途上〜』をリリース。
インディーズの1stも2ndも彼らの青春がパッケージされたような疾走感が感じられます。
元々、アイデアや英詞などほかにはない魅力があった彼ら。
2005年11月23日に、通算4枚目のシングル「25コ目の染色体」でメジャーデビューします。
RADWIMPSの3rdを締めくくる「最後の歌」
『RADWIMPS 3 〜無人島に持っていき忘れた一枚〜』は2006年2月15日にリリースされたメジャーデビュー後、1枚目のアルバムで通算は3枚目のアルバムです。
彼らの音楽性はインディーズ時代から素晴らしいものでしたが、RADWIMPSはこのアルバムでさらに開花したと言えるのではないでしょうか?
このアルバムを締めくくる曲が「最後の歌」です。
ボーカル/ギターの野田洋次郎がほとんどの楽曲の作詞・作曲をおこなっていますが、彼はどんな思いをこの曲に託したのでしょうか?
RADWIMPS「最後の歌」を聴く
戻らない昨日たち 本当にね ありがとね さびしいなあ
まだ見ぬ明日たち 今いくね よろしくね 嬉しいなあ
叶わない願いたち 本当にね ごめんね いつかきっと
叶えられた想いたち ありがとね これからも ずっとともに
出典: 最後の歌/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
昨日という過去は戻ってきません。でも昨日という過去があるから今日があります。
そして明日という時間に向かっています。
過去に感謝しつつ未来に向かう野田がいます。
また叶っていない願いにはいつかきっと叶えるという希望を抱いています。
叶えられた願いには感謝しています。
ここでは、〜たちという表現から、過去にいた人たち、未来に出会う人たち、一緒に想いを叶えることができた人たち、願いを叶えることができなかった人たちについて歌っているのかもしれません。
小さな鼓動 震えるたび 思うのは 僕があなたを守るから
今僕が生きているということは 今僕が幸せだということ
今僕が笑ってないとしても 今僕が生きている それだけで
幸せだということ
出典: 最後の歌/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
小さな鼓動とは、誰の鼓動でしょうか? あなたを守るという決意が響いています。
生きているというだけで、幸せだと歌う野田。
それはなぜでしょうか?
出会えない命たち 君の分も 僕はきっと がんばるよ
交わしたこの約束たち 離さないよ 忘れないよ 約束しよう
出典: 最後の歌/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
命と命は出会って輝きます。
でも誰とも出会うことができず孤独な魂もあるでしょう。
そういう人のぶんも野田は歌うつもりなのでしょう。
そしてがんばると約束を交わした人とは離れず、忘れない。
なんのために生きているのか。そういうことをしっかり掴んでいるのでしょう。
いつかこの 世の誰もが言えるのかな「僕はもう何も 望みはしないから」
小さな夢を次から次に 描いては捨てていくのは 本当はもうこれ以上何もいらないから
出典: 最後の歌/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
夢をえがいては失望し諦めていく。
それはとても辛いことです。
何も望まず、生きているということ自体をみつめられれば、生きることは幸せに繋がるのでしょうか?
生きているということの幸せを感じることを大切にしている野田がいます。
溢れる命たち 生きている 僕がいる 嬉しいなあ
消えていった命たち いつかはね 僕も逝くね その日まで
今僕が生きているということは 今僕が幸せだということ
今僕が生きているということは 今僕が幸せだということ
今僕が笑ってないとしても 今僕が生きている それだけで 幸せだということ
生きているそれだけで 幸せだということ
出典: 最後の歌/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
亡くなってしまった人のことを思い浮かべます。
いつかは自分も死に、また彼らと出会います。
でもそれまでは生きている。
溢れる命がこの世にあるのです。
そしてもし今、笑えていないとしても生きているということ自体が幸せだと生きることを肯定しています。
生きることに理由はいらない?
なぜ生まれてきたのか?
そう考える野田の曲を何曲も聴いてきました。
でも、ただ生きているということが素晴らしいと思うこともとても大切かもしれません。
人生の最後に、生きているということは幸せだった。
あるいは人生の最後でなくても、生きているということが幸せだと思えること。
そういう感謝に辿り着くために考えたり、愛を交わしたり、生きているのかもしれません。
だから最後に辿り着く境地として、この歌は「最後の歌」なのでしょう。
なかなか生きているだけで幸せという悟りの境地には到達できません。
様々なことをして、自分が生きていることを祝福したい。
でも、いつかただ生きているだけで幸せという境地に辿り着けるのかもしれませんね。