松山千春バージョンでは、4ビートアレンジでジャズ風にまとめており、昔のナイトクラブ風に作られています。
もともとの曲はバーブ佐竹も歌っていましたが、やはり有名なのは「藤圭子」でしょう!
「圭子の夢は夜開く」という名前入りのタイトルで1970年に発売されました。
この曲は当時ものすごくヒットした曲で、この年から始まった年末の娯楽番組の「輝け第1回日本歌謡大賞〜!」の大賞に選ばれたのを覚えています!
藤圭子は出身が岩手ですが、北海道の旭川近辺で両親と旅回りの芸人をしていて、美しい子供だったとお年寄りの方からよく伺っていました。
その縁もあって北の曲として選ばれたのだと思います。
5曲目「風雪流れ旅」
松山千春バージョンでは、三味線だけの伴奏で切々と歌い上げた作品になっています。
もともとの曲は、ご存知サブちゃんこと「北島三郎」の代表曲です!
個人的ですが筆者が20歳の時の曲で1980年と印象深く覚えています。
出身は道南の知内町で、知る人ぞ知る北海道の有名人です。
筆者は以前、タレントさんが出演する札幌のマンモスキャバレーでバンドをしていましたが、控え室の廊下ですれ違ったことがありました。
いつもニコニコしている印象とは別に、非常に厳しい表情を拝見し、音楽に対する真剣な取り組みを感じました。
弾き語りこそ松山千春の原点
松山千春の最近のコンサートは、自らギターを持って歌うことが多いのですが、元々が弾き語りでデビューしていますので、これが原点といっても過言ではないでしょう。
筆者は1977年に松山千春が「旅立ち」でデビューした頃はまだ高校生でした。
全くの偶然ですが、筆者の高校の社会科教諭が、松山千春が足寄高校に通っていた頃の担任の先生で、いろんなエピソードを聞かせてもらいました。
ファッションに敏感で、学生服も当時の流行のデザインを着ていたそうです。
やはり歌はその頃からうまかったそうで、よくギターを弾いて歌っていたと聞きました。
その他には札幌市のテレビとラジオの放送局「STV」で、ラジオ番組に出演する際に、ジープのオープンに乗って通っていたのをよく覚えています。
ラジオ番組でも北海道弁の早口で元気いっぱいの喋りを聞くことができ楽しませていただきました。
本人曰くギターはそれ程上手くないといっていましたが、やはり松山千春は弾き語りという印象が強かったですね!
ただ「長い夜」の大ヒット以降はあまりギターを弾かなくなったのを覚えています。
最近のラジオ番組でもちょっと泣き言が漏れていたようで、指が痛いというコメントが結構ありました。
この手のコメントを聴きたい方は是非「松山千春のON THE RADIO」を聞いてみましょう!
「松山千春のON THE RADIO」はこちら
放送局のリンクですので是非聞いてみてください!
熱烈なファンのブログ「YUMENO BLOG ~愛のうた」
こちらでは、「松山千春のON THE RADIO」の各週ごとのコメントを、丁寧にUPしていますので、ファンにはたまらない内容となっていますのでリンク先を紹介しますね!
YUMENO BLOG ~愛のうた:愛した季節の薫り~ 夢野旅人
夢野旅人さんのブログです。最近の記事は「「今年の春も愉しかった松山千春東京公演。『純-愛する者たちへ-』派VS『祈り』派」S5275(画像あり)」です。